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サイクリストは岬が好きだ。 

北海道へ来れば、あちこちの岬まで足を延ばしたくなる。

しかし、岬までの道のりはそう簡単ではない。


支笏湖を後にして、苫小牧から様似の駅まで輪行してきた。

広大な北海道を限られた時間で巡るには、輪行をうまく使うしかない。

キャンピングでの輪行はとっても大変だ。

一度に移動できないから、輪行袋とバッグを別々に運ぶ。

改札を通る時も、ホームへ移動するときも、列車に乗る時も二度手間になる。

分解、組み立ても時間がかかる。

サイドバッグ、シュラフをセットするまで30分以上かかる。

準備を整え、一路襟裳岬を目指す。

ここへ来れば当然「襟裳岬」の歌詞を口ずさむ。

北の街ではもう 悲しみを暖炉で
燃やしはじめてるらしい
理由のわからないことで 悩んでいるうち
老いぼれてしまうから
黙りとおした 歳月を
ひろい集めて 暖めあおう
襟裳の春は 何もない春です

この歌詞はどういう意味なのだろう? 何もない春とはどういうことなのだろう?

そんなことを考えながら襟裳岬を目指すが、答えはさっぱりでてこなかった。
 

襟裳岬まで約37km。ようやくたどり着いた。

しかし、海上はモヤがかかっていて、真っ白で視界がほとんどない。

そして、観光地にもかかわらず人影がまったくない。


真夏なのに肌寒く、ウィンドブレーカーを着る。

寂しいところだと感じた。そして、また森進一の歌を口ずさんだ。

襟裳岬は、何もないというより、何も見えない、誰もいない、という印象であった。
 

黄金道路を行く。

あまりに建設費がかかったものだから黄金道路と呼ばれるらしい。

確かに、すごい所に道路を作ったものだ。

海風吹きさらし、台風でもくれば道路は大きな被害だろう。

維持管理するだけでも大変な道路だ。

まだまだ未舗装の部分が多く、黄金道路を走り抜けるまではかなり時間がかかった。

ようやく広尾駅に到着。再びここから帯広へ向けて輪行だ。

当時の国鉄広尾線は「愛の国から幸福へ」ということで、愛国駅〜幸福駅の切符が大ブームになった。


当然、幸福駅に停車すると、乗客はホームに降りて記念撮影が始まる。

列車もサービスでしばらく停車してくれる。

多くの若者がこの路線に乗るためだけにここへやってきた。

今から思えば、何でこれほどのブームになったのか不思議で仕方がない。

しかし、楽しく、いい時代だったことは間違いない。


(1977/8 走行)


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