峠への招待 > ツーリングフォトガイド > ’197 7 > 有珠山大噴火



その日は、小学校を改造したユースに泊まっていた。

木造の古そうな校舎で、教室を利用した部屋のようになっていた。


夜になって、やたらと揺れる。ちょっと揺れてはすぐにおさまる。

何か機械が動いたり、止まったりしているのかな? 

古いから揺れるのも仕方ないか、なんて思って眠りについた。


翌朝、きれいに晴れ渡った夏空になった。

昨日揺れたことなどすっかり忘れて、洞爺湖を目指して走り出す。


9時過ぎだった。

視界右手に、とてつもなく大きな噴煙が視界に飛び込んできた。

これが昭和新山? すげーな! いや、それにしても凄すぎる。

昭和新山って、こんなに活発だったっけ?


迫力の凄さに驚きながらも、のんきに走っていると、周囲の様子が慌ただしい。

多くの人が車から降りて写真を撮っている。

訳が分からずそばにいた人に聞いてみる。

すると、まったく知らない山が突然噴火したのだと言う。

気が付けば噴煙がどんどん大きくなり、凄まじいことになっている。


すぐそばに売店があったけれど、カメラのフィルムがすぐに売り切れになった。

お店の人も、何が何だかわからず慌てふためいている。

とりあえず、我に返って写真を1枚撮る。

標準レンズではとてもじゃないが入りきらない。

こんな経験は初めてだ。何をしたらいいのか、何が起こるのか。

知識も経験も、頼れる人もいなく、とりあえず湖畔へ向かう。


湖畔へ着くと、観光地は大騒ぎになっていた。

すでにお店のシャッターを閉めて、車で非難する人も出始めていた。

荷物を積んだトラックが自分の前を何台も通り過ぎる。

湖畔をのんきに自転車で走っているのは自分ひとり。


何をしたらいいのか、そして何をすべきか。

まだこの時点では、自分の身が危険にさらされているという実感がまったくなかった。
 

せっかく洞爺湖にきたのに、観光もしたかった。

この騒ぎがおさまるまで、湖畔でのんびりするか?

今日はここでキャンプでもいいや、なんて思ったりもした・・・

どこでも生活できる装備があるから、慌てて逃げなくたっていいや・・・なんてことも考えていた。


しかし、周囲の緊迫した様子がツーリング気分を一掃させた。

「逃げろ!」「ここにいたら危ない!」そう直感した。

どこへ逃げよう? 情報がまったくない。

突然の予定変更と緊迫感にさすがの自分も動揺が隠せない。

何が起きているのか、何が起きるのか、何が必要なのか?

とりあえず駅へ行こう。駅へ行けば人もいるし、ここよりは安全だろう。


逃げた。


しかし、重装備のキャンピングだ。まったく遅い。いやになるほど遅い。

自分の横を車がどんどん追い抜いて行く。

誰一人声をかけてくれる人もいないし、心配もしてくれない。


孤独だった。


次第に火山灰が降り始め、どんどん視界が悪くなってきた。

生暖かい火山灰が髪の毛や肌につくと、ベタベタとくっつく。

鼻や口から火山灰を吸い込むと、呼吸がやたら苦しい。
 

全身無防備の自転車での避難は過酷だった。

見知らぬ地で、道もわからず、どんどん置き去りにされる惨めさ。

涙が出そうだった。


壮瞥駅へ逃げ込んだ。

火山灰からやっと逃げられた。

そしてほっとした。


駅はテレビの取材が入っていて、慌ただしい様子を撮影している。

自分も珍しい被写体として撮影されていた。

町の住民はどんどん逃げ始めていた。

皆、車やトラックだ。自転車なんて誰もいない。


さあ、ここからどうしよう?

いくらか落ち着いてこの先を考える。

とりあえず、洞爺湖から離れることだ。

近くのユースを探すと、オロフレYHがある。すぐに電話するとOKだった。

よかった。これで今日はなんとかなりそうだ。


駅で一息ついて、再び火山灰の中を走り出す。

今度は目標があるから精神的にも救われる。

早いとこ、この火山灰から逃げたい。

いつになったら呼吸が楽になるのか・・・


頑張ってオロフレ峠を目指す。

ようやく火山灰も少なくなってきた・・・あと少しでユースだ。


まったく、すごい一日になったものだ。

その後、洞爺湖に噴石が降ったと聞いた。

逃げずにいたら、大変なことになっていたかもしれない。

本当に無事でよかった。


(1977/8 走行)


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