峠への招待 > ツーリングフォトガイド > ’1978 > 東北キャンピング



夜行を盛岡で乗り換えて、角館まで輪行してきた。

キャンピングでの輪行はとにかく大変。

荷物も多くて、一度に移動することもできない。

でも、輪行のおかげで、あこがれの東北キャンピングがスタートできる。


大学生になれば、時間はいくらでもある。そして多少のお金も自由になる。

そんな二人で一ケ月のロングツーリングが始まった。

決まっているのは行きの列車だけ。あとは、毎日その日暮らしだ。

いつ帰るのかも決まっていない。いつ、どこで、何をしているのか、家族は心配だろうな。


おおよそのコースは決めているが、果たしてどこでどうなるかは行ってみないとわからない。

そんな、あてもなく、予定もなく、自由気ままに旅をするのがキャンピングの魅力だ。


(角館駅からキャンピングがスタート。重い自転車に四苦八苦する)


生活道具を一式詰め込んだサイドバッグ。

どこでも寝て過ごせる装備と精神力がある。だから怖いものなし。


角館から 田沢湖を目指す。走り始めはとにかく重い。

こんなに重いフロントで、本当に走れるのかと心配になる。ハンドルが持ち上がらないほどだ。


スピードが乗ってくればそこそこ快適だが、ちょっとの勾配で忙しく変速せざるを得ない。

ほんのわずかの勾配がすぐ足に感じる。とにかくギヤチェンジが忙しい。

やっぱりキャンピング車にはトリプルが必要だということがよくわかる。
 


(秋田県 県民の森キャンプ場)


サイドバッグの重量バランスも大切だ。左右の重さが均等になるように荷物を振り分ける。

一人では持ちきれない荷物も、二人いれば分散して持てるので、ソロキャンピングよりは楽かもしれない。


テントは4人用だが、2人で使えば十分スペースに余裕がある。

これが3人になると一気に窮屈になってしまう。



 



JR田沢湖線に沿って 仙岩峠付近)


体がキャンピング仕様になるのに2、3日かかる。

尋常ではない生活スタイルに、なかなか体が順応しない。

日の出から日没まで、一日中太陽を浴びる生活。こんな生活は日常ではありえない。


キャンピングの一日は独特だ。何もかも自分達で決めなければならない。

どこへ向かうのか、何を食べるのか、そして今日はどこで寝るのか。

すべてが未確定だし、すべてが自由だ。

焦ることも、強制も、命令もない。これがキャンピングの神髄だろう。

(小岩井農場付近 東屋で一泊)


東北のキャンピングは素晴らしい。観光地も多く、キャンプ場も数多い。

午後3時を過ぎると、今日のねぐらを考え始める。

キャンプにするか、駅で寝るか、たまには宿に泊まるか、あるいは輪行するか・・・


今後の予定や、天候、時刻、体力、そして残金を考えてその日のフィナーレが決まる。

こんな、ハラハラ、ドキドキする生活なんて、都会の恵まれた環境では考えられない。

毎日、何が起こるか全くわからない。こんな魅力たっぷりな旅はなかなかない。

(小岩井からの岩手山)


楽な旅ではない。体力は、時には限界をむかえる。動けなくなる時もある。

炎天下の中、重量級の自転車でのヒルクライムは、想像を絶する過酷さだ。

疲労と、日焼けと、そして汗だくの体。体が悲鳴を上げることもある。


キャンプは忙しい。やることがいくらでもある。

どんなに疲れていても、自分が動かない事には何も始まらない。

買い出し、テントの設営、水汲み、食事の準備、片付け、そして寝る準備。

なんでこんなに忙しいのだろうと思うが、これが楽しい。

 

キャンピングはいろいろなことを学び、経験する。不便さは逆にアイデアを生むきっかけになる。

限られた荷物、道具で自分の身を守りながら生活するには、毎日が工夫の連続だ。

あまりに便利になり過ぎた世の中にいると、こうした不便さが逆に楽しくもある。

(八幡平アスピーテラインを登る)


頑張って登っていると、観光バスや乗用車から声を掛けられる。

「がんばってぇ〜・・・」 やかましい。

そういうもんではない。

この苦しみ、この楽しさはまず理解してもらえない。

でも、しかたなく手を振ったりする。


自転車のスピード感というのは素敵だ、と感じるのがこういう時だ。

何もかも速ければいいという時代に、わざわざ時間をかける旅。

こんな楽しみ方はなかなかないし、経験できない。


今の時代、不便なこと、大変なこと、手間のかかること、こういうことに価値があるんだよ。

だから、観光バスの人たちに向かって、「かわいそうに・・・」と手を振ってあげている。


(陸中花輪から能代へ輪行 そして駅寝)


駅に着くとホットする。旅人の安らぎの地かもしれない。

ここで寝ることもできれば、列車に乗って移動することもできる。

生活に必要な物は駅周辺で手に入るし、何よりも人に会える。


この日は能代まで移動するために、最終列車に乗って輪行した。

着いた駅で寝るという、移動&宿泊を兼ねた得意技だ(九州で学んだ必殺技だ)。


 

宿に泊まってしまえば、なにもしなくていい。

体がもう言うこと聞かなくなった時や、どうしても風呂に入りたい時などは宿に泊まる。


しかし、その逆に自由がない。すべてがルールで決められている。

快適さをとるか、あるいは自由をとるか。キャンピングに来たのなら、やっぱり自由な方を選びたい。


キャンプに慣れてくると、もうどこでも寝れる自信が身についてくる。

最悪、水されあればどこでも寝れる。

屋根や、トイレ、長ベンチがあればどんどんグレードが上がっていく。

(五能線 東八森駅→八森駅付近で、列車撮影待ち どっからきたね?)


旅の魅力は出会いかもしれない。

旅先で、知らない人に声をかけられる。こちらから声をかける。

自転車で旅をしているなんて、それはもう珍しい。

東京から来ました、なんて話すともう大変。

解説するのにしばらく時間がかかる。結局理解してもらえない。


いい時代だった。サイクリストは旅先で歓迎された。

大事にされた。近寄ってきてくれた。

まだまだサイクリストなんて、それは珍しい人たちだった。

結構あちこちで視線を浴びた。やはり珍しい存在だった。

でもそれがちょっと優越感だった。


日本って広いな、って感じたのがこの旅からだったかもしれない。

地図でみればたいした距離じゃないけれど、何日もかかってやっと龍飛岬近くまでやってきた。

日本一周なんて絶対にできないな、なんて感じるほど東北は広かった。


(増泊林道入口 いよいよ東北の最奥地へ入る)


「津軽から江差へ」(綿貫益弘) という本がある。

この著者は、ニューサイの紀行文ではあまりにも有名だ。

ニューサイの愛読者であれば、この本を購入した方も多いだろう。

 

まだ大学生だった自分には、 ここで描かれた、あまりに過酷な龍飛崎を目指すシーンが衝撃的すぎた。

龍飛崎とはどんなところなのか。やっぱり行ってみたい、と思った。

竜泊ラインが全面開通したのは昭和59年。

ここを走った昭和53年では、龍飛崎へはダートの増泊峠を越え、三厩から龍飛崎へ行くしかなかった。


(増泊林道  8mmフィルムよりキャプチャ−画像)


ダートの林道に入っていく。誰もいない、そして状況もわからない。

路面は結構締まっていて走りやすいが、やはりキャンピングでの登りはつらい。

しだいに汗が吹き出して、シャツが汗で染まっていく。


(増泊林道  8mmフィルムよりキャプチャ−画像)


登るにつれ、白くもやがかかり始め、視界が悪くなっていく。

湿度が高く、汗が噴き出て止まらない。ついには上半身裸で走る。


(増泊林道  8mmフィルムよりキャプチャ−画像)


ハードな峠越えだった。押したり、乗ったり、なんとか峠へ到着することができた。

写真を撮る余裕もなく、残っている映像は8mmで撮影したシーンのみだ。


トラブルなく三厩へ抜けられた。ほっとした。これで龍飛へ行ける。

三厩の民宿に泊まった翌日、荷物を置いて龍飛岬へ向かう。

あまりに期待が大きかった龍飛岬。とうとう北の果てまでたどり着いた。

(龍飛崎 吉田松陰記念碑)

(龍飛崎からの眺め)


寂しい所だった。そして北の果てだった。

東北の寂しさの頂点が、ここ龍飛岬だった。

それぐらい、遠く、果てしなく、何もなかった。


この海岸を、この海を、この景色を綿貫氏は眺めたのか・・・

どこをどうやってさまよい、どうやって辿り着いたのか・・・信じられない。

あまりに壮大な物語に、ただただ唖然とするばかり。


やはり、自分の目で見ないとだめだ。

読むのと、見るのでは重みが違う。

すごいサイクリストだ。

 


油川の駅で一泊。東北の無人駅は寝るのにちょうどいい。

朝、通勤通学の人たちが来る前に起きれば迷惑をかけることもない。

なんでこんな惨めな生活をしているのか、なんて思ったことは一度もない。

毎日が新鮮で、刺激的で、何が起こるかわからない。こんな人生はありえない。


慣れてくると、もう人の視線は何も感じなくなる。

最初は恥ずかしいとか、見られたくないとか、視線をそらしていたけれど、気が付くと堂々としている。

染まり始めると怖いぐらいだ。もう何でもできるし、どこでも寝れる。いい人生経験をしたもんだ。

(”油川ステーションホテル”でぐっすり)


東北の旅も後半戦だ。体もすっかり仕上がったし、体調もまずまずだ。

毎日のリズムも出来上がり、朝の忙しさも苦にならない。


ここしばらくは海沿いの毎日だったが、後半戦は山岳コースが待っている。

十和田湖を目指す。笠松峠への登りが厳しい。

(青森からひたすら登る、視界が次第に広がってくる)

 

海抜0mから1000mの登りだ。真夏のキャンピングでの登り、42Bの太いタイヤがやたら重い。

それでもやはり高い所は気分がいい。頑張っただけちゃんと結果が返ってくる。

自転車の魅力は、これなんだな、やっぱり。報われるんだ、必ず。

(いやぁ、よく登りました。足腰もかなり鍛えられたきた)

 

登りはとてつもなく遅いけれど、下りだしたら快適そのもの。

車重があるだけに、加速がつくと42Bでのコーナーリングは 安定感抜群だ。


奥入瀬渓流の流れは清く、美しかった。

木漏れ日が溢れるなか、深い自然林に囲まれた中を緩く登っていく。

あまりに素敵な景観の中、思わず自転車を止めて渓流の散策だ。


見えてきた十和田湖。大きすぎて海かと思った。対岸が全く見えない。

湖面の夕日が眩しく映る。さて、今日は十和田湖でキャンプだ。

 


 

(十和田湖、大きい。まるで海みたいだ)

 

時にはトラブルもある。ケガをすることもある。具合が悪くなることもある。

雨上がりの林道のダウンヒル。路面は濡れ、見通しもよくない。

(雨のダウンヒル  8mmフィルムよりキャプチャ−画像)

 

気持ちよく下って左カーブにさしかった瞬間、対向車が現れた。

お互い気づいて減速したが、運悪く路面に小石が散らばっていて転倒した。

車のホイールに自転車が当たって、ホイールキャップが取れて転がっていった。

右足を擦りむいただけで軽傷だった。しかし心の傷は深い。

(濡れた路面、荒れた下りコーナーでの転倒--8mmフィルムよりキャプチャ−画像)


天気がさえず、連日の雨模様。こんな時もある。

旅も後半。疲労もピークに達してくるとさすがに気持ちも消極的だ。

わざわざ雨の中を濡れながら走りたくはない。今日はこの駅でゆっくりしようと決定。


一日に数本しか停車しない駅だから、その時だけ邪魔にならないように片づける。

一日自転車に乗らないと疲労回復には効果絶大だ。

しかし、雨なので何もすることがない。食事が終わると、あとは週刊誌を読むぐらいだ。

(陸中夏井駅--無人駅、悪天候のため二泊する)


ちょうどサイクルスポーツ誌の発売日だ。隣町の本屋で売っているかな?

暇だからと、わざわざ出かけて買ってきた。楽しくて一気に読んでしまった。


次の日も一日雨。どうしようかと悩んだが、結局そのまま二泊目。

近所の人たちは、さすがに我々がいつまでも駅にいるので驚いていた。

でもいい時代だった。駅に二泊しても何も言われなかった。


それどころか、二泊目は駅を管理している人が来て、中で寝ていいと駅長室を提供してくれた。

なんて東北の人は心優しいのだろう。本当に感激した。

(紺碧の三陸 リアス式海岸が始まる)


太平洋側に出てくると、景色は明るく眩しく輝いている。

龍飛崎での日本海の印象とはかけ離れている。海の色が違う。


リアス式海岸沿いは、アップダウンの連続で大変だ。

しかし、見事な景観が辛い登りをいくらか忘れさせてくれる。

 

(体は正直だ。無理しすぎでもう動けない)

 

疲れた。太陽を浴びすぎ、日焼けしすぎ、汗をかきすぎた。軽い熱中症だろう。

思わずひっくり返ってその場でダウン。

時間はいくらでもあるから、好きなだけ休んで体力を回復する。

ちょっと休めばすぐに力がみなぎってきた。やっぱり若かった。元気だった。

(最悪の場所が折れた。旅もフィナーレで助かった)

 

自転車も壊れる。

毎日、この重い荷物を積んで、ダートから舗装路まで走り続ければさすがにどこか壊れる。

リアのフリー側のスポークが折れてしまった。最悪の場所だ。


さすがにフリー抜きも、ハブスパナも持ってこなかった。

しかたなく、折れたスポークをなんとか取り除いて、振れ取り調整で走れるように直した。

長期のツーリングでは、どこまで補修パーツ、工具を持っていくかが難しいところだ。

(岩手県 浪板海岸)


旅の最後は、
浪板海岸で連泊だ。

充分に走って、充分にキャンプして、最後はゆっくりしたいと思った。

買い出しにも便利なこのロケーションで、忙しかった旅を振り返る。


一日海岸でたっぷり自由な時間を過ごす。

泳いだり、食事を作ったり、そして花火をしたり。

すっかりこの生活のリズムが出来上がってしまった。


あまりに長い旅を続けると、それが終わった後が大変だ。

帰りたくない。もう少しこうしていたい。そう思うようになる。


家に帰っても朝早く目覚めたり、夜はわざわざ寝袋で寝たりして・・・

布団で寝ないで、わざわざ寝袋に入って寝る。

これが落ち着くんだな。わかるかなぁ、この感覚。


バイト先へ出勤すると、あまりの異常な黒さに驚愕されたっけ。まるでコーヒー色だ。

電車のつり革につかまると、隣の人とあまりに腕の色が違うのに自分でも驚いた。

でもこの日焼けが誇りだった。そして勲章だった。


東北キャンピング、それはそれは夢みたいなロングツーリングだった。


(1978/8 走行)


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