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1985年8月11日


今年の夏のキャンピングは、大井川周辺へ出かけることになった。

8/11から7泊8日という予定で、 メンバーは前半2名、後半1人増えて3名という少人数だ。


カーサイで出発し、後から輪行で一人が追いかけるというプランだ。

早朝に東京から東名高速で大井川の河川敷に到着。橋の下に車をデポしてキャンピングの準備だ。


前半はデポ地をベースに、 大井川を挟んで西コース、東コースとキャンピングで巡る予定だ。

走り出せるまでかなり時間がかかる。サイドバッグのセッティングだけでもいろいろ悩む。


ようやく準備が整って記念撮影。さあて、今年も重量級マシンが走り出しますよ。

ところが・・・このキャンピング、相当色々なトラブルに見舞われることになった・・・
 


まずは西コースを1泊2日で巡る。天竜浜名湖鉄道に沿って走り出す。

真夏の暑さでいきなり体が悲鳴をあげる。初日のキャンピングは、とにかく過酷だ。

体も不慣れ、自転車も重すぎてスピードがでない。ちょっとの勾配ですぐにギヤチェンジの繰り返しだ。


適当な時間になったら、本日のねぐら探しが始まる。

キャンプ場なんてないので、寝場所探しは一番頭を悩ませる。


野宿キャンプに適した条件を満たす所はなかなかない。探しているうちに時刻も遅くなってくる。

追い込まれてくると、多少の条件は妥協せざるを得ない。そんな中で落ち着いたのが今夜のキャンプ地だった。
 


山間部の民家がポツポツとある道路脇に、小さな川が並行して流れていた。

道路から川まで数mの高さがあり、木々に覆われて川原も影になっているので人の目が気にならない。

水の流れは穏やかで、川原が広く他にもテントを張っている姿が小さく見えた。


川原のキャンプは好きではなかった。今までほとんど川原での寝泊まりはしてこなかった。

まあ、それでも今日はしかたがなかった。もう時間的にアウトだし、先客チームがいたのでなんとなく安心できた。

やれやれ、本日のねぐらが決まると一安心だ。ちょっと広くなった平らな砂地にテントを設置する。

 


先客チームは、よく観察すると同じサイクリストだ。スタンド付きのスポーツ車で3名のようだ。

なんだ同じ仲間じゃないかと喜んで、楽しいキャンプの夜は更けていった。


天気が悪くなる、という情報をこの時は知らなかった。いや、天気をあまり気にしていなかったのだろう。

この頃はラジオの天気予報だけが頼り。あとは自分の知識や経験、観察力や判断しかなかった。
 

 

事件その1 「テント水没!」


下の写真はなぜこんな画像になっているのかと言えば、カメラが水没したからである。

フィルムまで濡れてしまい、ネガ数コマがまともな画像を表示できなくなってしまった。

この貴重な一枚も、人間の肌の色が変色してしまい、そのままでは見るに耐えないため加工せざるをえなくなった。


それでは、カメラが水没するに至った経過を説明しよう。

ご覧の通り、テント設営地は川のすぐ横ではなく、数m離れた少々小高い場所である。

まさか川のすぐ横にテントを張るほど無知ではない。特に問題ないと判断して眠りに入った。


眠りにつくころ、パラパラと小雨が降ってきた感じだったが、荒れた天気でもないので気にならなかった。

深夜目が覚めた・・・別に風や、音で目が覚めたわけではない・・・足が冷たいのである!

寝袋に入って二人で寝ていたのだが、なんで足だけ冷たいのかわからなかった。


テント内は真っ暗なので何も見えず、しばらくそのまま寝ていたのだが、いよいよ冷たくなって飛び起きた・・・

すぐに懐中電灯で照らしてみて仰天した・・・なんと足首から先が水溜まりになっているではないか!


「うわ!起きて!起きて!凄いことになってるよ!」と相棒を起こすが呑気な感じだ。

足冷たくないの? って聞いても、冷たいけど我慢していた・・・という答え。

すでに足元に置いたフロントバッグの半分が水に浸かっている状況だった。
 

 

1985年8月12日


暗い中で、懐中電灯に照らされた衝撃的な光景は、一生忘れられないほどショックだった。

暗い中周囲の様子がよくわからないけれど、とにかくテントを移動しないといけない。


深夜に大騒ぎで荷物を移動させ、安全な場所を確保して一息ついた。

とにかく明るくならないと何もできず、とりあえず再び寝る段取りをとって朝を迎えた。

 


朝になってテントの外に出てみて、再び衝撃の光景を目にすることになった。

昨日テントを張った頃の風景とはまったく違う光景が、目の前に広がっていた。


川幅が3倍ぐらいに広がっていて、小さな川だったはずがかなりの水量になっていた。

そして何よりも驚いたのが、我々のいる場所が川の中州状態になっているではないか。

道路へ上がるルートも水没し、我々自転車2チームは川の小島に取り残された感じになっていた。
 


雨はまだ降り続いているが、これ以上悪天候になる気配はなかった。

周囲の状況を見て緊急度はないと判断し、まずは朝食を取ってから考えることにした。

何はともあれ、ここから脱出しないといけない。


しかし片付けも大変だ。泥まみれのテントを川で洗い流し、汚れないようにたたむ。

濡れたテントほど厄介な物はなく、小さくならないし、何より重い。

もう、ここまで濡れれば開き直ったもので、多少の事なら我慢できるようになる。
 


さて、いざ脱出となって問題はサイドバッグだ。

水の中を歩くことになるため、サイドバッグがさらに濡れてしまう。

そこでゴミ袋をサイドバッグの下からかぶせ、いざ川の中へ突っ込む・・・


水深はたいしたことないが、しっかりサイドバッグが水に浸かるほどの深さだ。

道路上から見たら、救出したくなるほどの光景だっただろう。

3人組のサイクリストも無事に脱出し、なんとかこの場から道路へ戻ることができた。

 

 

事件その2 「BBが緩む!」


雨はさらに降り続き、時々激しく打ち付けるほどだ。我々の装備もかなり被害を受けた。

ほとんどの持ち物が濡れてしまい、財布も、衣類も、食料も濡れてしまった。


さらに追い打ちをかけるように、二人の自転車、それもBBにトラブル発生だ。

相棒の自転車は左ワンの緩み、自分の自転車は最悪の右ワンの緩みだ。

当然工具なんて持ってないので、なんとか自転車屋を見つけ、相棒の左ワンは何とか直すことができた。


自分の右ワンは修理不可能だ。ストロングライトなので特殊工具が必要だ。

荷物も自転車もボロボロとなると、もう車に戻るしかない。

雨が降り続く中、じっと耐えながら走り続け車に戻ってきた。そしてようやく雨も上がった。
 


車に戻ってくれば一安心。我が家に戻ってきたかのような嬉しさだ。

こうなれば、今日は一日天日干し祭りだ。

バッグをひっくり返して、何もかも広げて乾かす。財布の中身、お札まで濡れているので乾かす。


さて問題は右ワンだ。この場でできることは、ギヤ板を外して右ワンを増し締めするぐらいだ。

大きな石とドライバーで右ワンをカンカンと叩くと少しづつ回っていく。

こんな荒療治やりたくないが、工具がないのでしかたがない。
 


それでも結構締まって、試乗してみるとガタもなく、なんとか乗れるぐらいになった。

ついでに気になっていた長すぎたステーを糸ノコで切断する。

暑くなって汗がダラダラ流れる。上半身裸になってなんとか乗れる状態にまで復旧できた。
 


少ない工具と石ころでここまで整備できた。よしよし、明日からまた走れそうだ。

今日はもう疲れ果てて車の横でキャンプだ。車があれば何でもできるし安心だ。

買い出しに行って、早い時間からキャンプサイトを準備する。
 

 

事件その3 「日航機消息不明!」


今夜は椅子とテーブルもあって、とっても豪華な食卓だ。

いやはや、前半の2日間はトラブル続きだった。それでも無事に戻ってこれてよかった。

まあ、大変だったけどいろいろ反省もし、勉強にもなった。今日はゆっくりとキャンプを楽しみましょう・・・


なんて感じだったのだが・・・なんと、なんとこの後凄いニュースがラジオから流れてきた・・・

ちょうど夕食の準備をしている頃だった。時刻はもうすぐ19時になろうとしていた。


何か、低く鈍い音が北の方角から聞こえてきた。”ド−ン・・・” 聞き逃してしまうほど静かな音だった。

何の音だろうと一瞬疑問に思ったが、その後何も聞こえてこないのですぐに忘れてしまった。

後になってわかったことだが、方角、時刻からして、あの日航ジャンボ機が御巣鷹山に墜落した音に違いなかった。
 


キャンプの時はいつも携帯ラジオを聴いている。上の写真にも、テーブルの片隅にラジオが写っている。

NHK夜7時のニュースを聴いている時だった。突然ニュース速報が流れてきた。

日航機の消息が不明という第一報が入ってきてからは、その後はこのニュースでもちきりになった。


最初はちょっとミステリアスなニュースにドキドキしていたのだが、その後錯綜する情報に大騒ぎになっていた。

しだいに情報が入り始め、最初は群馬県の「ぶどう峠」付近に墜落した・・・とニュースが入ってきた。


「何ですって? ぶどう峠? ツーリングで行った峠じゃないか!」

「えっ! あんなところに墜落? なんで、どうして・・・えぇ?!」


限られた情報の中で、NHKのニュースも錯綜し、聴いている方も何がなんだかわからない始末。

いつまでたっても、何時間たっても消息はわからない。日が変わってもまったくわかなないことだらけだった。

深夜テントに入っても興奮状態が続き、ずっとラジオを聴きながら眠りに入った。
 

 

1985年8月13日


朝になって、日本中が大騒ぎになっていた。

テレビも新聞もなく、ラジオしかない我々には、ほとんど情報は入ってこなかった。


これ程の事故が起きていても状況はよくわからず、我々は今日の準備に忙しかった。

荷物も乾き、自転車も一応直ったので、気分新たに大井川の東側コースへ走り出す。
 


今日はいい天気だ。やっと夏らしい眩しい太陽が戻ってきた。

大井川を渡って北上する。再び振出しに戻ったような感覚だ。

すっかり体も出来上がり、キャンピング生活も慣れたので快調だ。
 


大井川を離れ山間部へ入っていく。

やはり山の中は交通量も少なく、静かで気分がいい。


大まかなコースだけを決めていて、時間が来たらどこでキャンプするかはその場で考える。

重たい装備にもだいぶ慣れてきて、登りも結構調子いい。
 


茶畑が広がる静かな山の中を、楽しく下る。

キャンピング車でのダウンヒル、コーナーリングは重心が低いので安定感も抜群だ。


路面が安定していてオーバースピードに注意すれば、下りを満喫できる。

ただしブレーキをかけても簡単には止まれない。やはり無理は禁物だ。
 


今日のキャンプ地はまたしても川原だ。痛い思いをしたので、注意深く寝場所を検討する。

やはり明るいうちに寝場所を探すことが大切だ。

時間に余裕がないと、いい場所も見つからないし状況判断も間違える。


この場所も他にテントが設営されていた。天気に問題なければ、広々としていてなかなか条件はいい。

この日は何事もトラブルなく、楽しいキャンプの夜を過ごすことができた。
 

 

1985年8月14日


日航機のニュースは連日大騒ぎだ。しかし、山の中でキャンプをしていると何もわからない。

夜キャンプサイトで、やっとその日初めての情報を得ることも珍しくない。

お店で食事することもなければ、テレビを見ることもない。夜のラジオだけでは本当に社会から遮断される。


現実から逃避できるのがキャンピングの魅力だが、こうした場面では逆に情報難民になりかねない。

穏やかな朝を迎えた。きれいな水が流れる川で水遊び。しかし流れはかなり急だ。

ここも雨量が多くなればきっと姿が豹変する川だろう。
 


今日もいい天気だ。すっかりいい色に日焼けしてきたし、足腰も出来上がった。

体調もすこぶるいい。こうなってくるとキャンピングが楽しくて仕方なくなる。


目の前には、穏やかな景色ときれいな川の流れが広がる。

記念写真を撮って、さあ今日もスタートだ。
 


蔵田の町から宇嶺の滝(うとうげのたき)へと登って行く。

藤枝市にある観光地で、落差70mの直瀑は迫力満点だ。

流れ落ちる滝の水はとても冷たく、子供たちは水着になって遊んでいた。


今日の昼飯は川の横、道路に腰かけてカップラーメンだ。

水と食料さえあれば、どこでも寝れるしどこまでも走れる。やっぱり凄いね、キャンピングは。
 


連日の走りで自転車の操作が一段とうまくなっている。

重量級のキャンピング車の扱いに慣れ、コーナーリングのテクニックも上達してくる。
 


突っ込むスピード、タイミング、ブレーキングポイント、体重移動。

慣れてくると、キャンピング車はとにかく面白しダウンヒルが楽しい。

右へ左へ体重移動する姿は、バイクに乗っているような感覚だ。
 


まだまだ日も高く、何か面白い道はないかと地図とにらめっこ。

しかしキャンピングでは行動範囲も限られ、激しいダートなどは無理だ。

なんとか車も少なく楽に車に戻れる道はないかと考える。
 

 

事件その4 「輪行袋で一夜明かす!」


なんとか今日一日走ってきたが、ショックなことにまた右ワンが緩み始めた。

やはりちゃんと工具で締めない限りまた緩んでしまうだろう。

応急修理ではこれ以上は走れないと感じていた。


今回の7泊8日のキャンピング旅、まだ日程としては半分だ。

後半はメンバーがもう一人増えて、井川湖へ輪行する。

さてどうしよう・・・どうやって直すか・・・
 


色々と悩みながら、やはり一度帰宅しないと無理かな、と思いながら車に戻ってきた。

幸いなことに、ここの場所は東京からは近距離だ。新幹線ですぐに往復できる。

また応急修理しても不安だらけだ。井川湖で身動き取れなくなったら危険だ。


それよりも今から輪行で帰って修理してくれば、後半安心できる。

そうと決まればすぐに行動だ。


相棒は今日は宿に泊ることにして、明日の夜、下の写真のデポ地に集合ということにした。

その日の夜、輪行で自宅に戻る。キャンピング中に家に戻るという経験も初めてだ。
 

 

1985年8月15日


しっかり右ワンを締めなおし、翌日夕方、集合場所の大井川の橋の下へ向かう。

今日は当然テントで寝るつもりなので、荷物は輪行袋しか持っていない。


駅からタクシーに乗り、「大井川の橋の下へお願いします」と行き先を告げる。

すでに真っ暗な時間に橋の下へ行くなんてかなり怪しまれたが、またキャンピングの世界に戻ってこれた・・・


やれやれ、やっぱりテントの方が自分には合ってるな・・・と思っていたのだが・・・なんと誰もいない!

「え? どういうこと? どこ行っちゃったの?」「ここって言わなかったっけ?」

周囲を見渡したが、車もないし誰もいない。どひゃ、困ったぞ、どーすりゃいい?


どんな話をしたっけな?・・・なんて考えていてもしかたがない。

どうやらお互いに勘違いしていたのかもしれない。

冷静になって色々考える。問題は今夜どうやって過ごすかだ。


輪行袋とフロントバッグ以外は何もない。衣類も、雨具も食べ物もない。

なんとか寝るために、輪行袋から自転車を出し、腰まで袋に入れ、上半身はむき出しで横になる。

幸い夏なので寒くはないが、困ったことに蚊がやたら多い。

 

 

1985年8月16日


もっと条件のいい場所があれば移動したいが、こんな時間では何もできない。

徹夜するわけにいかず、なんとか蚊を手で払いのけながらウトウトとする。

気が付いた時には明るくなっていて、いくらが眠れることができた。


しばらくして、かなり離れた土手の上に、自転車を積んだ車のシルエットが見えた。

「なんでそんなとこにいるんだぁ?まったく・・・」

どうやら橋の下ではなく、ちょっと離れた土手の上で車中泊していたようで、明るくなるまでまったく見えなかった。
 


それにしても、相棒はどう思っていたのだろう? 会えなくて心配ではなかったのだろうか? 

もう、こちらは一晩ホームレスより悲惨な状況だったのに・・・この件は今でも謎だ。


その後、もう一人のメンバーがタクシーで集合場所の橋の下にやってきた。

やっぱりここなんだよ集合場所・・・という顛末でこの大井川キャンピングは終了した。

この後は、3人で井川湖へ輪行して後半のキャンピングが始まる。
 

(1985/8/11〜16 走行)


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