峠への招待 > ツーリングフォトガイド >  ’1985 > 阿武隈




これを書いているのが2020年8月。すでにこのツーリングから35年も過ぎてしまった。

すでに記憶も薄れ、時は過ぎ時代は変わり、そして阿武隈の様子もすっかり変わってしまったことだろう。

いまさらこんな旅を振り返っても意味はないかもしれないが、自分のツーリング記録として、ただ残したいだけだ。



一時期、ニューサイでは阿武隈が静かなブームになっていた。

阿武隈と言えば長谷川自転車商会の店主、長谷川さんだ。

ニューサイの紀行文、あるいはお店の広告に幾度となく阿武隈の話題が登場する。


お店に行けば阿武隈を走った時の写真や記録が目につき、阿武隈の魅力を語ってくれる。

まだまだ経験不足の自分には、阿武隈の魅力も知識も何も持ち合わせていなく、いつも話を聞いているだけだった。

若い時は、やはりダイナミックな峠越えや林道が魅力で、「阿武隈」という地は自分のフィールドにはなかった。

特に有名な山岳や峠があるわけでなく、標高も低く、なかなかツーリングプランに組み入れることはできなかった。


しかし、頻繁にニューサイに阿武隈が取り上げられるようになり、やはり一度走ってみようということになった。

さて、いったいどこを走ったらいいのか・・・とそこから悩んでしまうのが阿武隈だ。

旅の組み立て、起承転結が難しい。まあ、最初はとりあえずなんでもいいから行ってみるしかない。

というわけで夜行列車に乗って、阿武隈のツーリングは始まった。


ちなみに、ニューサイのデータベースデータから「阿武隈」を検索してみると、以下の記事が検索された。

No.77

No.118 No.126 No.128 No.138 No.159 No.160 No.160
No.165 No.176 No.260 No.262 No.263 No.270 No.299 No.360


いつでも夜行は混んでいたこの時代。

座れるなんて夢の話。いつもデッキに立ちっぱなしでじっと耐えたもんだ。

郡山で乗り換えて、始発列車でようやく横になった。こんな夜行旅、よくやっていたっけ。


降りたのは小野新町駅。初めて訪れる地で気分も盛り上がる。


まだ国鉄の時代だ。駅の看板が時代を物語る。

お腹が空いて、いきなりカップラーメンで朝食だ。


輪行なんて物珍しくて、駅で組み立てていると必ず声をかけられた。

当然手回品切符が必要で、駅の改札で回収されないと、記念に残ってうれしかったもんだ。


せっかく初の阿武隈ツーリングだが、天気は冴えない。

いきなり降り始めた。スタートから雨具を着ての始まりだ。


今日の宿は決まっているものの、どこをどう走るかは決めていない。

峠越えのようなピークがないだけに、コース設定も難しい。

そして、見知らぬ土地だけに雰囲気も、走り方もよくわからない。


道はきれいで走りやすい。道幅も広く、そして交通量が少ない。

天気が良ければのんびり気分で走れそうだが、この天候では楽しい事はあまりない。


珍しくサイクリストとすれ違う。やっぱり阿武隈は魅力あるところなのだろうか?

小さな起伏が多く、登っては下りを何度か繰り返す。

下りも路面がいいので気持ちのいいスピードで下れるが、雨で滑りそうで結構緊張する。


いつまでたっても雨の中。しだいに雨具の中も我慢できなくなってくる。

フロントバッグも濡れてくる、足元も次第に気持ち悪くなってくる・・・


唯一ストレス解消になるのはダウンヒルしかない。

雨の降る中、顔面に雨粒を浴びながら豪快に下って行けば、気分も多少は解消される。

そんな雨の中の快走を写真でお見せしよう。


結局、一日中雨の中を走っていた。周囲の景色など全く記憶にない。

阿武隈の雰囲気も、眺めも、展望も、何もなかった。


ただ濡れた路面と一日中向き合い、蒸れた雨具と、グチョグチョの靴に不快感を感じての走りだった。

雨宿りを繰り返し、適当にお茶を飲んで雨から逃げるばかりだった。


本日の宿「入道温泉」に着いて、やっと雨から解放された。

これ以上浸みこみませんってぐらい、靴は水浸し状態だった。

明日のためになんとか靴を乾かそうと、靴乾燥機を借りたり、新聞紙を詰めたりして頑張ってみる。


この宿はサイクリストに有名な宿らしいが、阿武隈初心者の我々にはそんな雰囲気を味わう余裕もない。

記録に残りそうな雨天走行も、ようやく無事に終えて乾杯だ。

大変な初日だったけれど、こんな辛かったツーリングほどいつまでも印象に残るものだ。


さて翌日。残念ながら天気予報は今日も傘マークだ。

昨日さんざん降られて、もういい加減にしてくれと言いたくなる。


靴は乾いたかと履いてみる。乾燥機を使った靴は結構乾いているが、新聞紙は全然ダメだ。

冷たい靴に足を入れるのは何とも嫌なものだ。まあ、履いてしまえば関係ないが・・・


結局、出発するときにはまた雨模様になった。せっかく乾いた靴も台無し。今日も雨具を着てのスタートだ。

普通のグローブでは濡れてしまって役に立たない。そこで、お店で農作業用のゴム手袋を買ってみた。


見た目は最悪だが、この天候では最高に快適だ。暖かいし、とにかくどんな雨でもへっちゃらだ。

天気の悪いツーリングでは、こうしたグローブを持っていると役に立つと学習したのがこの時だ。


昨日と同じ景色だ。日が差さず、何も見えず、雨具で前方の視界も悪い。

ペダリングも不快だし、眼鏡に付いた水滴がとにかくうっとうしい。あぁ、もうやんでくれないかな・・・


雨具を着ての登りはさらに不快だ。

ポンチョなら風も入ってまだいいが、上下セパレートの雨具では蒸し暑さで暑くなってくる。


時々換気のため前を開けたり、フードを取ったりするが気休めだ。雨足が強くなれば今度は体が濡れてしまう。

ゴアテックスなんていう高機能の雨具がない時代だ。雨の中の走行は、何一ついいことがなかった。


今日も楽しみはダウンヒルだけだ。路面がきれいなので、結構スピードを出しても怖くない。

再び靴は濡れまくり、顔面はまたびしょびしょだ。


さすがに二日目ともなると、もうどうでもよくなり、逆に開き直ってくる。

タイヤサイドも、汚れでドロドロ状態だ。バーテープも、フロントバッグも、そしてサドルも濡れっぱなし。

本当はカバーをつけて走るべきだが、この頃はそんな気を使ったツーリングはしてなかった。


雨の中を走り続けてきた4台のTOEIランドナー。こんな悪天候の中を、トラブルなしに頑張ってくれる。


雨宿りできるところがあればすかさず避難だ。雨具を脱いで体を乾燥させる。

煙草も湿ってしまって、いつもの味ではない。それでも仲間がいれば楽しい会話が弾む。


小降りになったり、強くなったりと雨具を脱ぐことができない。

濡れたくはないが、暑くて腕まくりするぐらいがやっとだ。

今日も一日ダメかとあきらめの境地だ。ただ、勾配もそれほどきつくなく、車が少ないのが唯一の救いだ。


ようやくピークに到着。もう、参りましたと濡れた路面に手をついて座り込む。

何もかも濡れていて、爽やかなことは何ひとつなし。


登っては下りを繰り返す。下りになると元気になる。

あまり前に近づきすぎると水しぶきが顔にかかる。ブレーキも効かないので車間距離も大切だ。


二日目は約300m登って、700m以上下れるお得なコースだ。

雨の中、うっぷんを晴らすかのように気持ちよく下って行く。


途中でお茶休憩だ。手が冷たく、皆でラジウスを囲むように手を温める。

濡れていて座るところもなく、中腰でのティータイムという情けなさ。


雨が止んだかと思えばまた降ってくる。強くなったらすぐ雨宿りに逃げ込む。

もう、何度こんなこと繰り返しているのだろう。距離もまったく稼げない。


昼飯もこの天気ではいい場所がない。手に入れたカップラーメンで簡単に済ます。

エネルギー不足だ。こんな天気の中だと結構体力を消耗する。


ようやく田人町旅人(たびとまちたびうと)の町に到着。久しぶりに町の住人に出会う。

小腹が空いて、食料品店で肉まんと缶コーヒーでエネルギーの補給だ。


最後は雨の中、植田駅まで頑張って走る。まあ、とにかくよく降られた二日間だった。

普通は、多少天気が回復してもいいのだが、今回は全くその気配はなかった。

汚れた自転車を掃除しながら輪行する。まあ、これに懲りずまた走りに来るかと思うばかりだった。


帰りはのんびりとローカル線を楽しむ。乗車して、ようやく足元も乾いてきた。

なんとか阿武隈の魅力に触れたいと思ってやってきたが、今回は完全に失敗であった。


ニューサイ263号の長谷川氏の紀行文を読んでいたら、以下のような文章があった。

これを読むと、またいつか、時間をかけてゆっくりと旅したいと思うばかりである。

「武蔵野から始まって、多摩丘陵、相模原、湘南丹沢、奥武蔵、秩父、奥多摩、伊豆、房総、水郷方面、
中央沿線の峠から信州、上州、北関東を30余年走ったが、阿武隈には自転車旅行の神髄がある様に思う」
(ニューサイNo.263 1986年6月号)
 

(1985/9/22-23 走行)


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