峠への招待 > ツーリングフォトガイド > ’1988 > 南三陸キャンピング
悩んだ挙句編み出した東北キャンピング。最終的に一人になり、準備に慌ただしい日々が過ぎる。 2日前から上野へ荷物を預け 、万全を期す。ところが数日前から豪雨のため、夜行がボツとなり、急遽新幹線へと変更。
やたら荷物が重く、地下3階までの往復は本当に辛い。
一ノ関でなんとか乗り換え、気仙沼に着く。 組み立て、そしていよいよ走りだす。 |
どういうペースで、どう休んで、どっちへ行って・・・どうも調子が出ない。
とにかく今日のキャンプさえ済めば、感覚も掴めるだろう。 |
昔はこうして1日1日過ごしていたんだなあ、などと思い出す。 とにかく、一人のキャンピングというのは感覚がつかみにくい。 どうもおかしい。 |
ペースも上がらず、すでにいい時刻となった。 海水浴場を走り回り、不満ではあるが海岸沿いにテントを張る。 |
とにかく一人だと買い物が難しい。
まだ現実から逃避できるほどツーリングに浸っていない。明日の快晴を望みながら眠りについた。 |
快晴どころか大雨となった。朝から豪雨。 新品のテントのおかげで濡れずに済んだが、いかんせん一人用のため、テント内でくつろぐわけにもいかない。
今日はどうしようかと悩む。朝食は、焼きうどんにミートソース、サラダ。
長期のツーリングならここに連泊だろうが、昨日からほとんど走っていないため 、とにかく走るしかない。
ウミネコが何匹も海岸に佇んでいる。
かき氷、焼きそば、フライドポテト・・・誰もいない海の家に、夏のメニューが目に映る。
国道へ戻った。いきなり豪雨になった。
とにかく今日は朝からついていない。
幸い左膝を打っただけで済んだが、じわじわムカついてきた。
大谷駅へ逃げ込む。時刻は11時。雨は 相変わらず激しい。大雨洪水、そして雷雨注意報。空は灰色。
むかつきとその見通しから、「帰るか?」と考える。
と考えると、帰ってあと2日、家でのんびり過ごそうという気にもなってくる。
17時20分に乗れば今日中に帰れる ・・・決まった。
帰ろう、帰ろう・・・心は決まっていた。雨も相変わらずだ。
20分後、袋に入ってよし完了、とふと気がつくと雨が 、雨が止んでいる。
自分の判断がこうも裏切られると、もう怒る気にもならない。
せっかくここまで来た、何のためにここまで来た?
昔だったら帰ろうなんて考えなかった。 根性がなくなったんじゃないのか・・・
もう荷物は持って行ってしまっただろうか?
あった! 今にも持っていかれそうに積まれていた。よし走ろう!
だったら帰ろうなんて思わなきゃいいのに。
やっぱり好きなんだキャンピングが。 ダンボール担いで駅へと向かう。輪行袋がぽつんと置かれている。 気合が入って組み立てる。もう槍が降ろうとなんだろうが走る。
ここまで裏目に出ると、本当に自分の考えが間違っているのじゃないかという気になってくる。
雨をたっぷり含んだサイドバッグに荷物をしまい、さあやり直しだ。
さっき来た時とはえらい違いだ。キャンプできるという喜びに満ちている。
走っているうちに雨も上がり、空が明るくなってきた。 |
今こうしてランプの横でペンを走らすこのひととき、このひとときが貴重だ。
いやこの先、もうないかもしれない。 |
ラジオを消せば自然界の音だけ。ランプを消せば暗黒の世界。
10時を過ぎた。波の砕ける音が闇夜に響く。
いよいよ今日も終わる。濡れた靴もバッグも、徐々に乾いてきた。
あと2日、都会の雑踏をようやく忘れかけてきた。
いろいろ勉強になった一日だった。 |
今日は走った。本当によく走った。昨日の分まで走った。 朝7時出発。朝飯は海岸でラーメン、シュウマイ、ちくわ。
天気は曇り。風がある。寒い。
風も、日差しも、もう秋だ。夏の名残を求めてやってきたが、それが寂しかった。
7時出発というのはすごいことで、だいぶ走ったなと思っても8時、9時、そして大休止がない。 しかしなんというアップダウンの繰り返しなんだ。年中ギアチェンジしている。
三陸の景色が目の前にある。ウミネコ、さざなみ、老人。
本当はこんな走りをしたくない。しかし仕方ない。
十分に海を眺め、潮の香りを満喫できて幸せだ。45号と別れて398号へ。
軽装備なら一気に駆け上がるヒルクライムも、ローに落とさなければ進まない 。
神割崎。ここは結構開けた名所で、とにかくキャンプ施設が整っている。
さすがに季節外れでキャンパーはいないが、観光客は結構いた。
水、食糧、電話、宅急便はどこにでもある。電車沿いなら怖いものなしだ。
しかし、いよいよアップダウンの繰り返しで足が死んできた。
まるで F1並みのギアチェンジ 。忙しくてしょうがない。
4時くらいを目処にさらに走る
。もう足が危なくなってきた。 |
トンネル、ダウンヒル、押し・・・なんてハードなんだ!
しかし湾の中の小さな町だけに、小学校と言っても周りは民家。さすがに人の目を気にしてしまう
。 |
再び登り。まず、こぎれいなバス停をチェック。町は完璧な漁港。これじゃだめだ 。
バス停に行ってみるか。しかし今日はテントで
寝て、水をふんだんに使ってさっぱりしたかった 。 |
寺である。悩んだ。不満は残るが、今考えられる中で一番だった。
再び登り。すると前方に電話ボックスを発見。これは何かあると右手を見ると、何やらでかい建物。
高台の上まで行けば大丈夫だ。決まった。もう6時に近かった
。 |
コンクリートの上で背筋を伸ばして寝よう・・・ 星が見える。これでキャンプ最後の夜。
もうほとんど東京のことを忘れた。虫の音を聞きながら眠りにつく。 |
朝一番に、新聞配達の車が上まで登ってきた。 当然こちらに気付いただろうが、軽く会釈をして行ってしまった。
コンクリートの上は、久しぶりに体中の曲がりを矯正してくれた。
まだ朝の6時。朝の港町 、人々はすでに働き始めている。
静かだ、穏やかだ。朝の日差しが眩しい。さぁ最後の日だ。 |
ハンバーグ、鮭釜飯、ミックスベジタブル、お粥並みのご飯で腹いっぱい食べる。
人口は100人ぐらいだろうか 。こういう町が、入江ごとにいくつもいくつも繋がっている。
国道へ戻る。荷物が重い。早く宅急便を見つけよう。
早速宅急便へ。玉ねぎの箱を開けてもらい、両サイド、シュラフ、キャリアを全部しまいこむ。 |
今までの港町と違い、ここは卸売市場があり、遠洋漁業の船が入ってくる 。
船からクレーンで、凍りついたカツオだろうか、山のように水揚げされてくる 。
真っ白に凍りついた魚。冷気の漂う周囲。魚臭さ、男の汗。海の男の演出するドラマがそこにはあった 。
人間様々、仕事様々、人生いろいろ、そう思った。
女川港と別れ、女川原子力発電所へと向かう。 |
太陽と、海と、山。この自然溢れる女川に原発ができた。
この辺りまでくると、ほとんど交通量も少なくなる。
この時期に、この時間に、こんな地方を走っている姿が妙に新鮮だ。
警備員にガードされ、さながら国会前のようだ。
原発PRセンターまでの登りは相当手ごたえがあった。
ここも誰もいなく、中も何もやっていない。仕方なくお茶とする。
まあずっと平坦よりは、メリハリがあって良いかもしれない。
4日間ずっと左手に海を見ながら走ってきた。確か以前三陸を走った時は、もっと青く明るい印象があった。
これから訪れようとしている秋、そして長い冬を前に、人々は一時の休息をとっているのかもしれない
。 |
久しぶりに見る大都市。長い海岸線の先に、防波堤と煙突群が見える。
たった4日間ではあったが 、感慨深い4日であった。
仙台で乗り換え、新幹線に乗ると、もうそこは東京である。 |
そして新幹線の速さが、自分が現実に引き戻されるスピードを上回る。
それがあっという間にコンクリートジャングルと、車の洪水に変わった。
そんなツーリングの旅情を、少しでも長く味わっていたく上野から走った。
東京タワー、東京港、夜のポタリングもなかなかだ。十分満喫して家に着いた
。 |
(1988/9/2〜5 走行)
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