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9月2日

悩んだ挙句編み出した東北キャンピング。最終的に一人になり、準備に慌ただしい日々が過ぎる。

2日前から上野へ荷物を預け 、万全を期す。ところが数日前から豪雨のため、夜行がボツとなり、急遽新幹線へと変更。


4時に起き五反田まで走る。輪行して上野には5時半に着く。

やたら荷物が重く、地下3階までの往復は本当に辛い。


こんな重量で本当に走れるのか、本当に不安になってくる。

一ノ関でなんとか乗り換え、気仙沼に着く。 組み立て、そしていよいよ走りだす。
 


やけに重い。そしてどうも感覚がつかめない。

どういうペースで、どう休んで、どっちへ行って・・・どうも調子が出ない。


とりあえず国道へ出る。すでに1時。今日は大した走りはできそうにない。

とにかく今日のキャンプさえ済めば、感覚も掴めるだろう。
 


岩井崎。潮吹岩。パラパラと観光客。

昔はこうして11日過ごしていたんだなあ、などと思い出す。

とにかく、一人のキャンピングというのは感覚がつかみにくい。 どうもおかしい。
 


海が見たく国道と別れる。潮の香り、波の音、久しぶりだ。

ペースも上がらず、すでにいい時刻となった。

海水浴場を走り回り、不満ではあるが海岸沿いにテントを張る。
 


今日のメニューは、カレー、刺身、タコ、ビール。

とにかく一人だと買い物が難しい。


波の音を聞きながら眠る。久しぶりだ。とりあえず初日が終わった。

まだ現実から逃避できるほどツーリングに浸っていない。明日の快晴を望みながら眠りについた。
 


93

快晴どころか大雨となった。朝から豪雨。

新品のテントのおかげで濡れずに済んだが、いかんせん一人用のため、テント内でくつろぐわけにもいかない。


朝飯のために屋根下に移動する。屋根がこんなにありがたいとは。ここにテントを張ればよかった。

今日はどうしようかと悩む。朝食は、焼きうどんにミートソース、サラダ。


いつまで待っても雨は止みそうにない。

長期のツーリングならここに連泊だろうが、昨日からほとんど走っていないため 、とにかく走るしかない。


雨の中、勇気を出して走り出す。

ウミネコが何匹も海岸に佇んでいる。


盛りの過ぎた海水浴場というのは何か寂しい。

かき氷、焼きそば、フライドポテト・・・誰もいない海の家に、夏のメニューが目に映る。


蛇口は閉じられ、更衣室も閉鎖され、賑わっていただろう夏の数日間が想像される。

国道へ戻った。いきなり豪雨になった。


軒下へ逃げ込もうと思ったら、段差に乗り上げ、なんと見事に転倒!

とにかく今日は朝からついていない。


テントのポールで手のひらを負傷し、そして今度は転倒だ。

幸い左膝を打っただけで済んだが、じわじわムカついてきた。


交通量の多い国道とこの天気、そして転倒。もう参った 勘弁してくれ・・・

大谷駅へ逃げ込む。時刻は11時。雨は 相変わらず激しい。大雨洪水、そして雷雨注意報。空は灰色。


どうにも身動きできない天候に苛立つ。明日も明後日も天気は怪しい。

むかつきとその見通しから、「帰るか?」と考える。


こうして、駅で時間をふんだんに過ごすのもまたキャンピングだが、この状態で今日も・・・

と考えると、帰ってあと2日、家でのんびり過ごそうという気にもなってくる。


すぐに時刻表を調べる。幸か不幸か、駅前のスーパーに宅急便の案内が見える。

1720分に乗れば今日中に帰れる ・・・決まった。


酒屋の前で腹ごしらえし、ダンボールを貰って片付けだした。

帰ろう、帰ろう・・・心は決まっていた。雨も相変わらずだ。


手際よく箱詰めし、1000円払って輪行へと取り掛かる。身軽になってバラし始める。

20分後、袋に入ってよし完了、とふと気がつくと雨が 、雨が止んでいる。


空を見上げると、雲の流れが速く、灰色の空も所々明るくなっている。

自分の判断がこうも裏切られると、もう怒る気にもならない。


唖然とした気を引き締め、冷静に考え直す。

せっかくここまで来た、何のためにここまで来た?


キャンピングとはこういうものではないのか?

昔だったら帰ろうなんて考えなかった。 根性がなくなったんじゃないのか・・・


考えれば考えるほど自問自答の繰り返しだった。

もう荷物は持って行ってしまっただろうか?


荷物なしで民宿泊まりで走るか・・・スーパーへ行った。 あったら走ろう・・・賭けだった。

あった! 今にも持っていかれそうに積まれていた。よし走ろう!


この時の嬉しさ、新鮮な気持ち。なんでこんなに嬉しいのだろう。

だったら帰ろうなんて思わなきゃいいのに。 やっぱり好きなんだキャンピングが。
 

ダンボール担いで駅へと向かう。輪行袋がぽつんと置かれている。

気合が入って組み立てる。もう槍が降ろうとなんだろうが走る。


気合を入れながら組み立てる・・・しかしその時、雨、また雨が降ってきたのである・・・

ここまで裏目に出ると、本当に自分の考えが間違っているのじゃないかという気になってくる。


やっぱりやめるか? また強くなってきた。あー、天は我を見放したか・・・しかしもう迷いはなかった。

雨をたっぷり含んだサイドバッグに荷物をしまい、さあやり直しだ。


振り出しに戻った。時刻は5時。まずは食料だ。再びスーパーへ顔を出し、今度は買い物。

さっき来た時とはえらい違いだ。キャンプできるという喜びに満ちている。


メニューを考える。これが楽しい。自分で自分の一日を作り上げる。これがキャンピングの醍醐味だ。

走っているうちに雨も上がり、空が明るくなってきた。
 


そして小金沢駅。無人。久しぶりに味わう東北特有の駅。

今こうしてランプの横でペンを走らすこのひととき、このひとときが貴重だ。


一年のうちで、いや一生のうちで、こうした雰囲気を味わえるのは一体何日あるだろう。

いやこの先、もうないかもしれない。
 


波の音と、風に揺れる引き戸。長椅子だけしかない待合室。 久しぶりだ長椅子で寝るのは。

ラジオを消せば自然界の音だけ。ランプを消せば暗黒の世界。


人間が非力だというのがよく分かる。

10時を過ぎた。波の砕ける音が闇夜に響く。


帰らなくて良かった。こんな貴重なひとときを演出できて幸せだ。

いよいよ今日も終わる。濡れた靴もバッグも、徐々に乾いてきた。


明日の天気はまた分からない。しかしもうどっちでもいい。

あと2日、都会の雑踏をようやく忘れかけてきた。


さあ寝よう、今日も寒いかな。

いろいろ勉強になった一日だった。
 


9月4日

今日は走った。本当によく走った。昨日の分まで走った。

7時出発。朝飯は海岸でラーメン、シュウマイ、ちくわ。


今日はペースを上げなければいけない。

天気は曇り。風がある。寒い。


半袖短パンでは鳥肌が立つ。もうキャンプの季節ではないなと感じる。

風も、日差しも、もう秋だ。夏の名残を求めてやってきたが、それが寂しかった。


朝の45号線は車も少なく、そして日曜のせいか快適である。

7時出発というのはすごいことで、だいぶ走ったなと思っても8時、9時、そして大休止がない。

 
休んでいては明日が辛い。

しかしなんというアップダウンの繰り返しなんだ。年中ギアチェンジしている。


寄り道してみる。海岸沿いの町、潮の香り、素朴な人々、漁船、漁網、そして入江。

三陸の景色が目の前にある。ウミネコ、さざなみ、老人。


志津川を過ぎ、順調に距離を稼ぐ。止まっても5分、すぐに走り出す。

本当はこんな走りをしたくない。しかし仕方ない。


再生なったキャンピングを完結させるには、今日走らざるを得ない。おかげで途中の記憶があまりない。

十分に海を眺め、潮の香りを満喫できて幸せだ。45号と別れて398号へ。


ここで交通量がぐっと減り始めてくる 。相変わらずのアップダウン。重量が身にこたえる。

軽装備なら一気に駆け上がるヒルクライムも、ローに落とさなければ進まない 。


本当に重い。ダウンヒルも重すぎてスピードが出ない。

神割崎。ここは結構開けた名所で、とにかくキャンプ施設が整っている。


周りの環境と設備の良さは、今までの中でベスト3に入ると思われる 。

さすがに季節外れでキャンパーはいないが、観光客は結構いた。


先を急ぐ。東北地方、店には不自由せず気楽に走れる。

水、食糧、電話、宅急便はどこにでもある。電車沿いなら怖いものなしだ。


2時、3時、順調に走る。

しかし、いよいよアップダウンの繰り返しで足が死んできた。


すでに何百メートル登っただろう? どうして平らに作ってくれないの?

まるで F1並みのギアチェンジ 。忙しくてしょうがない。


橋を渡り、いよいよ牡鹿半島も近づいてきた。道路工事やら、直登、下りだの、もう参った。

4時くらいを目処にさらに走る 。もう足が危なくなってきた。
 


海水浴場のマークを目標に、飴で空腹をごまかしながら頑張る 。

トンネル、ダウンヒル、押し・・・なんてハードなんだ!


国道と別れ、寝場所を探す。まずは小学校をチェック。

しかし湾の中の小さな町だけに、小学校と言っても周りは民家。さすがに人の目を気にしてしまう 。
 


30分も悩んだろうか、結局諦め次の町へ。

再び登り。まず、こぎれいなバス停をチェック。町は完璧な漁港。これじゃだめだ 。


いよいよ焦ってくる。ここもだめ。しょうがない。

バス停に行ってみるか。しかし今日はテントで 寝て、水をふんだんに使ってさっぱりしたかった 。
 


国道に戻ろうと違う道を登ると、キャンプに適した広地、墓があり避難地となっている。

寺である。悩んだ。不満は残るが、今考えられる中で一番だった。


しかし水がない。寺の人は朝が早い。それならバス停へ行くか・・・

再び登り。すると前方に電話ボックスを発見。これは何かあると右手を見ると、何やらでかい建物。


どうやら学校だ。ありがたい。早速偵察する。誰もいそうにない。

高台の上まで行けば大丈夫だ。決まった。もう6時に近かった 。
 


酒も十分、飯も何とかなる、虫もいない。ただ、明日早く起きてすぐに退散しなければ。

コンクリートの上で背筋を伸ばして寝よう・・・ 星が見える。これでキャンプ最後の夜。


明日は身軽になって走ろう。やはり4日間あると満足できる。

もうほとんど東京のことを忘れた。虫の音を聞きながら眠りにつく。
 


9月5日

朝一番に、新聞配達の車が上まで登ってきた。

当然こちらに気付いただろうが、軽く会釈をして行ってしまった。


どうもこちらの人は、我々みたいな旅人になれているようで、別に驚きも注意もしない。

コンクリートの上は、久しぶりに体中の曲がりを矯正してくれた。


すぐに出発。竹ノ浦という町へ急降下する。

まだ朝の6時。朝の港町 、人々はすでに働き始めている。


新鮮だ。頭の中は空になり、漁船と海鳥、入江を眺めている。

静かだ、穏やかだ。朝の日差しが眩しい。さぁ最後の日だ。
 


ゲートボール場にて朝食とする。

ハンバーグ、鮭釜飯、ミックスベジタブル、お粥並みのご飯で腹いっぱい食べる。


小さな町だ。自転車では端から端まで1分とかからない 。

人口は100人ぐらいだろうか 。こういう町が、入江ごとにいくつもいくつも繋がっている。


大都会東京からは、考えられない静かな生活だ。

国道へ戻る。荷物が重い。早く宅急便を見つけよう。


再びアップダウンの連続を繰り返し、女川の町へと入る。かなり大きな町だ。

早速宅急便へ。玉ねぎの箱を開けてもらい、両サイド、シュラフ、キャリアを全部しまいこむ。
 


そして女川漁港へ。

今までの港町と違い、ここは卸売市場があり、遠洋漁業の船が入ってくる 。


朝の忙しい時間にちょうどぶつかった。

船からクレーンで、凍りついたカツオだろうか、山のように水揚げされてくる 。


それがコンベアに乗って、10トントラックへと放り上げられる。

真っ白に凍りついた魚。冷気の漂う周囲。魚臭さ、男の汗。海の男の演出するドラマがそこにはあった 。


その豪快さと、甘えのない厳しさにしばし見とれていた。

人間様々、仕事様々、人生いろいろ、そう思った。


見栄も、気取りも、飾りも、束縛もない、素朴な生き方のように見えた。

女川港と別れ、女川原子力発電所へと向かう。
 


この素朴な漁民の住む南三陸に、近代社会の最高技術の結晶である原発がある。

太陽と、海と、山。この自然溢れる女川に原発ができた。


そのあまりの超越した組み合わせが不思議だ。

この辺りまでくると、ほとんど交通量も少なくなる。


やはり風は冷たく、夏がすでに完全に終わってしまったことを物語っている 。

この時期に、この時間に、こんな地方を走っている姿が妙に新鮮だ。


道路は原発道路と言うか、よく整備されており、ゲートを突破したはいいがやはり通行止めとなった。

警備員にガードされ、さながら国会前のようだ。


考えてみれば当然で、ウランでも盗まれては「核」が絡むだけにえらいことになる 。素直に納得し諦める。

原発PRセンターまでの登りは相当手ごたえがあった。


いくら身軽になったと言え、200m近く稼いだんじゃないだろうか 。

ここも誰もいなく、中も何もやっていない。仕方なくお茶とする。


アップダウンの連続のおかげで、ダウンヒルも何度となく楽しめる。

まあずっと平坦よりは、メリハリがあって良いかもしれない。


コバルトラインをくぐり対岸へ出る。パンで昼飯。時間の都合上、牡鹿半島はエスケープルートを取る。

4日間ずっと左手に海を見ながら走ってきた。確か以前三陸を走った時は、もっと青く明るい印象があった。


しかし今、その明るい海と暑さはない。

これから訪れようとしている秋、そして長い冬を前に、人々は一時の休息をとっているのかもしれない 。
 


侍浜のバス停。月裏史跡と過ぎ、万石浦、そしていよいよ石巻へ。

久しぶりに見る大都市。長い海岸線の先に、防波堤と煙突群が見える。


堤防の上をのんびり押す。フィナーレにふさわしいゆとりの時間だ。

たった4日間ではあったが 、感慨深い4日であった。


石巻駅には3時過ぎに到着。人が多い。学生が多い。

仙台で乗り換え、新幹線に乗ると、もうそこは東京である。


一瞬のうちに、「旅人」から「社会人」に引き戻される。

そして新幹線の速さが、自分が現実に引き戻されるスピードを上回る。


つい数時間前まで、小さな港町でくつろいでいた光景。

それがあっという間にコンクリートジャングルと、車の洪水に変わった。


便利になったのかそれとも虚しくなったのか。

そんなツーリングの旅情を、少しでも長く味わっていたく上野から走った。


都内をランドナーで走るのは何年ぶりだろう。夜の東京ネオンと、車のヘッドライトが実に綺麗だ。

東京タワー、東京港、夜のポタリングもなかなかだ。十分満喫して家に着いた 。
 

 

(1988/9/2〜5 走行)


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