峠への招待 > ツーリングフォトガイド > ’1989 > 佐渡キャンピング
今回は準備に結構時間があり、余裕を持って出発の日を迎えた。 7時頃上野集合ということで始発に乗る。
朝から汗だくになって、往復してようやくホームに着く。
いかにしてこの荷物をさばくかが問題なだけだ。
全く信じられないスピードだ。さっそく陣取り駅弁とする。
新潟着。改札までがまた一苦労。結構人が多く、そして立派な街だ。
1時間近くかかっただろうか、汗を拭きつつサイドバッグを装備していく。 |
3人故、装備も楽な方だ。フロントも持ち上がる。いよいよ走り出す。
川沿いに走るとすぐに港。すでに乗船の待ちの車、バイク、自転車が並んでいる。
大きな船だ。客室へ上がる。まだ誰もいない。
やがて乗客が波のように押し寄せ、みるみるうちに周囲が混んでくる。
新幹線のみだと旅情に欠けるが、フェリーはそれを見事に補ってくれる。 |
ラーメンで腹ごしらえし、本日の作戦を立てる。 本日は加茂湖畔の樹崎キャンプ場に決定。米を仕入れ、様子を見ながら走る。 ところが佐渡の道はどこも狭い。一車線で乗用車がちょうどいいぐらい。
そこを我々がキャンピングで走るともう危なくて緊張の連続である。 |
水、トイレはあり一応いいが、買い物が不便。だが静かでいい。 さっそく買い出しに行く。 隣の酒屋でビールを仕入れ戻る。
|
5時過ぎには起きた。 快調な出足だ。この朝の眠さ。だるさ、新鮮さがいい。 恒例のラジオ体操。そして朝食朝も忙しい。だらだらしているとすぐに昼近くなってしまう。
今日もいい天気だ。 再び佐渡空港をかすめ国道へ出る。 |
すぐに 右手に海が見えてくる。青い海だ。 いきなり泳ぎたくなってしまう。
単調と言うか変化もなく距離を稼ぐ。
昼飯は、くそ暑い店で親子丼。 |
さすが観光地は人も多く、 テントの山と海水浴客ばかり。
まだ3時過ぎで余裕がある。 車も少なくなってきたけれど、 適当な場所がない。
次々走り抜け、 二つ亀から 相当走った。 |
岩谷口の海岸だ。 ここに決定。
砂浜に自転車を降ろし、早速キャンプの準備。
やっと落ち着いた。 波の音を真横に聞きながらのビール。 うまい。
重労働しているからよく食べる。10時になればもう寝てしまう。 |
テント内は外と5度は違う暑さだ。
外へ出ればとにかく快適。 しかし、蚊がいる。 痒いのと暑いのとどちらを取るか。
|
快晴の中で泳ごうと期待していたのに覆された。 砂浜の雨ほど始末に悪いものはなく、 何から何までジャリジャリになる。
飯も食えない、雨具を着てウロウロ考える。 こういう時は屋根下に逃げるしかない。 |
濡れたテント、砂に浸かった道具。とりあえず片付けて脱出。
砂浜のラッセルは相当きつく、約100 M
の行進は超ハード。 |
しばらくして清水寺。 延命の水を飲む。
そして尖閣湾。超満員。 |
水族館を見る。 そして千畳敷。大したことない。
こうした海岸美に関しては三陸の方が素晴らしい。 |
相川の街を走って場所探し。 この天気のため屋根が欲しい。
水あり、トイレは前方の奉行所跡のトイレ。
佐渡金山へは明日空いているうちに行こうということにする。 |
かなり買い込み、豪華な夕食だ。 ビールも仕入れ急坂を登る。
雨も大丈夫そうだ。水道でシャワーを浴びる。夜相川の街へ散歩へ行く。 |
それほど蒸し暑くなく過ごせた。朝快晴。コーヒー飲んで、朝食。 朝はスパゲッティ。荷物を畳んでいると管理人が来て注意された。
金山までも少々の上り。荷物がないため楽だ。
坑内は冷気が漂い寒いくらいだ。 雨具を着て、電動仕掛けの人形を見る。
資料館のミニチュアの街並みも良くできている。 平成元年まで採掘していたとは驚いた。 |
場所選択で迷っているとまた泳げなくなるということで、次に見つけたところで泳ぐことに決定。
早速着替え、水中メガネやらマットやら持って行ったがこれが大失敗。
鋭く尖った岩場を歩くだけで大変で、いざ泳ごうと水の中に入っては、いきなり指は切る、足は切るという悲惨な姿。
そろそろ今日も寝場所の検討に入る。 |
まあ、綿密な計画を立てても無駄で、いい時刻まで走ってその場で考えるしかない。
駐車中の車が多く、さらにバスが頻繁に通る。
佐和田の町は結構大きく、国道に嫌気がさして海岸線へとエスケープしてみる。
どうしてこういうところで泳がなかったのかと、今になって後悔する。 |
その海水浴場のはずれに、ちょっとした休憩所がある。
さらにあまりにいい海なので、今から泳ごうと、もうすぐ日も落ちるという時間から海に入った。 最高だった。
今更買い出しして作るよりも、たまには海の幸でも食べようということになり、小料理屋に入った。
いい加減酔っ払って戻り、さらに再び飲みだした。
飲み過ぎでいつもの元気はなく、はやばやと寝込んだ。 |
今日もいい天気。本当に天気には恵まれている。 朝飯は梅干し、岩海苔などでさっぱり済ませる。
なんて優雅なのかと思う。シャワーを浴びて11時30分に出発。 |
今日まで本格的な山越えはなかっただけに、どれだけ時間がかかるのか心配だ。 |
その後は相当苦しい登りの連続となる。サイドがなくて丁度いいぐらいの勾配だからこれはつらい。
タオルで覆いながら喘ぎながら登る。
|
しかし重すぎてスピードが乗らない。
二つ目のピークまではほとんど押しだった。 |
しかしそこを過ぎれば赤泊まで下るのみ。
相当のきつさを予想していたが、なんだかんだで3時には赤泊港に着いた。 |
ところが窓口で言われたのは、乗れるかどうかわからないとのこと。
キャンセル待ちの8、9、10番目。 乗れなかったら明日の朝一だと開き直る。
女を含んだ大集団素人の集まり。
フェリー入港。行きのフェリーよりかなり小さい。
そしてまた乗客の波が押し寄せた。今度は更に激しく、甲板の上は歩けないほどになった。 |
辺りも暗くなりどうしようかと焦る。寺泊駅へ行くのかキャンプにするか。
食料を仕入れ、少し走ると海浜公園。 辺りが暗く物色できない。
屋根付き、水道付き、ベンチ付きである。ここに自転車を運びあげて落ち着く。
夜も更けてから、最終日は名物特製カレーの登場だ。
残した花火も打ち上げ、今日も華やかだ。
蒸し暑さに耐え、なんとか眠りにつく。 |
朝はトーストにハンバーグ。珍しい朝食だ。 宅急便で荷物を送る準備をして、アメ横へ向かう。
ダンボール箱を4、5個もらい、工作してテントポールを片づけ、サイドバッグをしまい込む。
かなりの重量だ。 いざ、身軽になって走り出す。 |
上りは大したことないと信じて登りだしたが、これがとんでもない坂。 身軽で、これほど疲れるとは相当の坂。いい加減参った頃ようやく着く。 200
mは登っただろうか。
500円の拝観料でガイドとお経がついてきた。 何が何だかわからなかったが、 正座してお経まで聞いて何か精神修行をしたようであった。 時間はかかったが、なかなか良かった。
佐渡の海とはまた違う印象の海岸だ。 どちらかというとこちらの方が明るく 豪快な感じがする。
このコースはアップダウンがあり、 さらに今日は向かい風がものすごい。 |
それほどの向かい風だ。 風と坂に苦しめられ、 結構辛い道のりだ。 防砂林沿いに延々続く道で、飽きるほど長い道だ。さすが新潟県、道の良さはここでも感じた。 昼飯は海の家。 ガラガラの海の家で、ラーメン、焼肉、というメニュー。
それほど新潟は近くなった。 後は新潟駅に向けて走るのみだ。 再び専用レーンを走る。 |
ところがどっこい、新潟という街は相当大きいらしく、行けども行けども駅など現れない。
いくらなんでももういい加減と思ってもまだ着かない。 一体どうなっているのだと呆れる始末。
見覚えのある景色が現れた。ようやく着いた。なんてデカイ街だと思った。
また、指定席通路作戦。駅弁食べて、ビール飲んで少しウトウトするともう上野だ。
異様に日に焼けた我々が、山手線車内でも目立っていた。 |
(1989年8月12日〜17日 走行)
峠への招待 > ツーリングフォトガイド > ’1989 > 佐渡キャンピング