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1年に1回のキャンピングでは物足らず、今年は7月に一人でキャンピングに行こうと計画した。

能登半島は東京からではかなり遠く、そう簡単に行ける所ではない。

そして、まともに走ったら結構な距離になる。どこからスタートして、どこを走ろうかと結構悩むばかり。


どうせ行くなら豪華に夜行寝台で行きたく、行きも帰りも「寝台急行 能登」を予約する。

列車が決まれば、しだいにプランが出来上がってくる。

初めて訪れる能登半島。これから始るソロキャンピングに心躍らせながら夜の上野駅へ向かった。


1991年7月24日(水)
(氷見駅 〜 能登島)


23:33 上野発 「急行寝台 能登」

夜行寝台の独特の雰囲気と旅情を十分堪能し、目覚めると景色はもう能登半島の入口だ。


早朝、高岡の駅で氷見線に乗り換える。ガラガラの始発電車に乗り込み氷見駅まで輪行する。

ソロでの輪行キャンピングには慣れているとはいえ、やはり駅での移動は大変だ。

しかしもうここまで来れれば安心だ。あとはのんびり組み立てればいい。


とにかく荷物が多い。これでも極限まで少なくしてきたが、さすがにキャンピングとなるとこれが限界だ。

自転車へのセッティングだけでもかなり時間をとられる。

頑張ったおかげで、一気に東京から能登半島まで来れる。やっぱり輪行自転車旅は無限の魅力がある。


走り出せばもうどっぷりキャンピングの世界。重いハンドル、ゆっくりとしたスピード、細かなギヤチェンジ・・・

何もかもが重く、ゆっくりの世界。流れる景色もいつもとは多少違うような気もする。

さっそく海岸へ出る。誰もいない護岸に座り、ラジオを聞きながら腹ごしらえだ。


氷見駅から富山湾に沿って北上する。すぐに石川県の県境を越え七尾市に入る。

天気は薄曇りでいまひとつ、そして風が強い。

石川県、初めて訪れる。日本列島の地図を頭に描き、今ここにいるのかと再確認する。


ずっと海岸線に沿って走れば楽かもしれないが、距離も長くなるため山越えのルートを選択する。

東浜町から西へ向かい、山を越えて七尾の市街を目指す。今回初めての本格的な登りが始る。

車の多い国道を離れ、ようやく静かな旅を楽しめる。


さっそくギヤはローに入りっぱなしだ。おのずと超スローペースになってくる。

この重さ、この辛さ・・・何度も経験しているけれど、やっぱり重い。

しだいに標高を上げていくと、前方に能登島の遠景が広がってきた。


今日のゴールはあの島の外れだ。まだまだ距離はある。

七尾の街を抜けると、やがて能登島大橋が視界に入ってくる。


見るだけで自転車には嫌な登りだ。あんなくねくね作らないで、平らに作ってくれよ・・・

強風の中、能登島大橋を渡る。眺めは素晴らしいが、勘弁してくれというぐらい大変な登りだ。


お腹も空いているうえにこの登りだ。何とか橋を渡り終えて、ようやく昼食にありつく。

キャンピングの初日というのはなかなか体調も整わず、心身ともに不慣れなまま。


午後になればもう今日の寝場所を考えなければいけない。

生活道具は全て持っているので、どこでも寝ることはできるが、やはり設備の整ったキャンプ場が理想だ。

本日の寝場所は、能登島北部の「能登島家族旅行村」だ。


着いてさっそくテントの設営とホイールの修理。なぜかエアー漏れがするのでチューブの交換。

大きなキャンプ場で、大型テントが設置されているエリアの一角に陣取る。


できるだけ静かなところで目立たないように過ごしたい。

ワイワイ、ギャーギャーやかましいのは御免だ。

いい場所を見つけた。周囲は静かで、テーブルまで用意されている。


場所が決まればキャンプの準備に忙しい。テントの設営から食事の準備、今日の記録と明日の予定・・・

やることは色々あるが、これがキャンプの楽しみだ。

なんだかんだと慌ただしかったが、ようやく感覚が戻ってきた。


やっと落ち着いて夕食を楽しもうという時になって、いきなり雨が降り出した。

急いで何もかもテントの中に放り込んで、狭いテントの中で食事をする。

テント内で火を使うのは危険だが、こんな状況では仕方がない。


火器類の転倒と換気に気を付けて、なんとか食事を続ける。

ビールと焼肉でお腹を満たすが、テント内の温度も上昇して暑くて仕方ない。


いやはや、やっぱりキャンピングはいろんな試練が待ち構えている。

こんな感じで初日のキャンプはとりあえず無事に終了した。


距離: 55.7 km
所要時間: 6 時間 45 分 00 秒
平均速度: 毎時 8.2 km
最小標高: .0 m
最大標高: 302 m
累積標高(登り): 520 m
累積標高(下り): 496 m

 


1991年7月25日(木)
(能登島 〜 増穂浦)


翌日は無事に朝を迎えた。

キャンプの朝は忙しい。朝食、片付け、荷造り。もたもたしていると、あっという間に出発が遅くなる。

まあ、一人なのでマイペースで行動できるから気が楽だ。


能登島の西側を半周しようと思ったが、結構距離があるため、山越えで再び能登島大橋を目指す。

誰もいない静かな山道に、ひぐらしの鳴き声が響き渡る。美しく、そして癒しの音色だ。


今回のツーリングは4日間しかないので、あまり無駄な走りをしていられない。

和倉温泉を眺めながら絶壁のような橋を再び登り、七尾線に沿ってのんびり走る。


能登半島の西側へ出るため、笠師保駅から海を離れて山越えに入っていく。

キャンピングも二日目になれば体の調子もよくなってくる。

今日も天気はいまひとつだが、さすがに夏場のキャンピングは暑さとの闘いだ。


水分補給で休憩していると、地元の子供二人が元気よく近寄ってきた。

いきなりピースサインをしながらじゃれてきた。

すっかり仲良くなって、ついでにカメラのシャッターを押してもらったのがこの一枚。


「羽咋健民自転車道」の大きな案内に導かれて自転車道に入っていく。

きれいに舗装された自転車専用道はとても快適だ。

巌門までは100m程登らなければならないが、道幅も十分で、のんびりゆっくり走ることができる。


自転車道を気持ちよく下りきると、広々とした日本海が目の前に広がってきた。

この辺りからの海岸線は、能登半島国定公園に指定されていて、見どころや観光名所が多い。

昼食を兼ねて、しばらくは周辺の観光を楽しむ。


能登半島も西海岸に出てくると海も荒々しい姿を見せる。

しばらくは海岸線に沿って北上するので、何も考えずに気楽に走れる。

時刻は15時。この時刻になると、そろそろ今夜の寝場所を考えないといけない。


残りの時間と距離からちょうどいいキャンプ場を目指す。

しばらく走ると、「世界一長いベンチ」の案内が現れた。なんだそれ?

興味津々見に行ってみると、海岸に沿って延々と長〜いベンチが設置されている。なんだ、そういうことか・・・


その先、増穂浦の海水浴場がキャンプ場になっている。今日はここで泊ることにした。

海水浴場とキャンプ場が一緒なので、夏のレジャーには文句なしの場所だ。


今日も人のあまりいない場所を選んで、のんびり静かに過ごす。

たまには新聞を読まないと世の中の出来事がわからなくなる。地方のテレビ番組表もまた面白いものだ。


大きなテーブルに荷物を広げられるのでとても便利だ。

ラジオを聞きながら、ビールと焼き鳥で楽しむ。一日頑張って走った後のビールはとにかく最高だ。


これが楽しみで走っているといってもいいくらいだ。

ソロキャンプだが、最小限の生活道具一式を持ってきている。まあ足りないものは何もない。


キャンプ場も海岸に近い場所のほうは人気が高く、反対側はひっそりとしている。

おかげで静かに過ごすことができて快適だ。


日没後、ランプの灯が雰囲気を盛り上げる。花火を楽しむ家族の姿も遠くに見える。

キャンピング二日目の夜もこうして更けていった。


距離: 48.8 km
所要時間: 7 時間 00 分 00 秒
平均速度: 毎時 6.9 km
最小標高: .0 m
最大標高: 150 m
累積標高(登り): 354 m
累積標高(下り): 383 m

 


1991年7月26日(金)
(増穂浦 〜 輪島)


三日目の朝を迎えた。さすがに疲れが出てきたが、日の出とともに目が覚める。

すっかり体もキャンピング仕様に出来上がってきた。

早朝の海岸を散歩する。まだまだ眠っているキャンパーも多く、誰の姿も見えない。


今日は風が強い。波も高く、キャンプサイトも風が吹き抜ける。

朝食は肉と野菜を入りのやきそばだ。一人で食べればかなりのボリューム。

テントを撤収し、散らかった荷物を片付けて今日も走り出す。


今日も海岸線を北上する。強風の中、最初に訪れたのが「能登金剛 ヤセの断崖」だ。

ここは松本清張の名作「ゼロの焦点」の舞台となった断崖絶壁だ。


確かに映画の撮影場所や、テレビのロケ地に最適な断崖絶壁だ。

荒れた海と、切り立った絶壁がとにかくスリル満点だ。


その先の琴ケ浜は「鳴き砂」が有名らしい。歩くと”キュッキュッ”と砂が鳴くらしい。

さっそく試してみるが、まったく鳴きもしない。他の観光客も下を向きながら試しているが、全然ダメ。

どうやら、鳴く場所と歩き方にコツがあるようで、誰でも簡単には鳴かないようだ。


しかし今日の風はひどすぎる。強風で前に進めないほどだ。

海岸線は特に強風で、この重い自転車でさえ吹き飛ばされそうだ。


風が収まるまでちょっと避難しようと隠れて休憩する。

しかし、フロントバッグを開けた瞬間に、小さなものなど吹き飛んでしまいそうな風が吹き付けてくる。


昼食をとった後、海岸から離れ輪島へ向かう。

ようやく風から逃げられたが、その分山道を登ることになる。


風に吹き付けられるより、静かな山道を行くほうがまだいい。

山道を北上して、再び海岸線に出てきた。相変わらずの強風で海も荒れている。


ここから輪島までは、また海岸線を行くことになる。

ようやく明るい太陽が見え始め、天気も回復の兆しを見せてきたが、風は相変わらず強い。

それにしても海岸線が美しい。そして海が碧い。


強風に一日中悩まされ、疲れ切って到着したのが袖ケ浜キャンプ場だ。

輪島の街に近く、海に面したキャンプ場なのでロケーションは最高だ。


広々とした草地に、キャンプ設備が整っている。

多くのテントがすでに設営されているが、どのテントも強風で吹き飛ばされそうなぐらい変形している。

少しでも風から逃げようと、一番風がこない隅っこに小さく陣取ることにした。


ボーイスカウトの若者集団が賑やかにキャンプを楽しんでいる。

あまり近づくとやかましいので、かなり離れたところから眺めていた。


早めにキャンプ場に着いたので、今日はゆっくりと準備ができる。

風が強いので、調理用のカマドを使って料理する。風除けになって本当に助かった。


不思議なことに、あれだけ激しかった風も止んできた。

日没の時刻になると、目の前の大海原を舞台に、真っ赤に染まる大空と見事な夕陽ショーが始った。


完璧なロケーションだ。キャンプサイトからこれだけ見事なサンセットを見続けられるなんて幸せだ。

太陽が水平線に完全に沈むまで、完璧に見届けることができた。こんな経験もなかなかできない。

一日の最後をこれだけ素晴らしい演出で締めくくることができて、本当に満足した一日だった。


距離: 54.6 km
所要時間: 7 時間 00 分 00 秒
平均速度: 毎時 7.8 km
最小標高: .0 m
最大標高: 186 m
累積標高(登り): 581 m
累積標高(下り): 576 m

 


1991年7月27日(土)
(輪島 〜 能登中島)


柔らかい草地のおかげで、気持ちよくぐっすり眠れることができた。

今朝の海は穏やかで、風もなくキャンプ場は静かな朝を迎えていた。

ボーイスカウトの面々も皆早起きで、若者たちも早朝から元気に活動している。


輪島となれば「朝市」を見ないことには始らない。

自転車を使えば朝市まではすぐ行ける。さっそく、朝食前に出かけてみる。


テレビでよく見る光景が目の前に広がっていた。

多くの観光客で賑わっている。こんな朝早くから凄い熱気だ。


「生鮮魚貝類」「加工海産物」「加工食品」「草花農産物」「工芸民芸品」「衣料雑貨品」

通りの両側に多くの露店が並び、観光客が次々に覗き込んでいく。

朝飯代わりに、色々と食べ歩きながら楽しんでいる人も多い。


美しい工芸民芸品が並ぶ中、記念に何か買っていきたいが、自転車となると荷物になるばかり。

キャンプ場のボーイスカウトの面々も、食べ歩きながらのんびりと散策していた。

自分も朝食代わりに少々お腹を満たしてキャンプ場に戻る。


キャンプ場に戻ってテントを片付ける。

素晴らしかった琴ケ浜キャンプ場。またここでキャンプしたいと思う、数少ないキャンプ場だ。


最終日は不要なキャンプ道具を宅急便で送り返す。お店でダンボールをもらって荷造りして発送する。

フロントバッグと輪行袋だけになり、信じられないほど自転車が軽くなった。


最終日は輪島からひたすら南下するコース。

線路に沿って走る。ゴールは決めていない。

時間が来たところで輪行する。果たしてどこまで走れるか。


ローカル線の駅は味がある。一つ一つ駅に立ち寄っては写真に収めていく。

「能登市の瀬駅」、「能登三井駅」と訪ねてみる。こんな半島の先端まで鉄道が繋がっているのだから驚きだ。

ここから列車に乗れば自宅まで帰れるのかと思うと、日本の鉄道網の有難さをつくづく感じる。


まだまだ時間に余裕があるので、穴見から線路沿いを離れて別所岳方面へ向かってみる。

真言宗の古刹、創建1200年を迎える来迎寺(らいこうじ)を見学する。


荷物が無くなると、これほどまで走りが変わるのかと、山越えの道も軽快に登っていく。

別所岳横を抜ける林道も、標高300mほど登ることになるが、まったく軽い足取りだ。

三日間踏み続けてきたおかげで、かなり脚力も鍛えられたのかもしれない。


いよいよ今回の旅も終わりに近づいてきた。この旅の終点は「能登中島駅」となった。

本当に田舎の、何もない、のどかな小さな駅だ。ホームの反対側には畑がどこまでも広がっている。

誰も人の姿が見えない。本当に日本の平凡な、よくある田舎の風景そのものだ。


荷物が少ないから輪行が楽だ。

列車の時刻が近くなると、ようやく乗車する人が現れた。


列車の灯りが遠くから次第に近づいてくる。そしてホームにゆっくりと入ってくる。

あぁ、これでこの旅も無事に終わったか、とホットする。

能登半島を離れてしまえば、あとは東京までの長い列車旅が待っている。


七尾線で金沢まで行き、そこからは再び「急行寝台 能登」に乗り込む。

今夜も車内でキャンプの雰囲気を味わいながら、夜行寝台の旅が続く。


翌朝目覚めると、車窓には都会の景色が広がっていた。

早朝の上野駅から、もう一日旅の余韻に浸りたくて自宅まで走って帰ることにした。

夜行寝台列車の旅は素晴らしいの一言だ。まあとにかく、今回の旅は行きも帰りも旅情満点であった。


距離: 49.6 km
所要時間: 0 時間 00 分 00 秒
平均速度: 毎時 5.5 km
最小標高: .0 m
最大標高: 296 m
累積標高(登り): 464 m
累積標高(下り): 462 m

 


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