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1992/8/13(木)

キャンプ場の朝は早い。波の音で目覚めると、目の前の砂浜でワンコが元気に遊んでいた。

昨日の夜は本当に楽しかった。遅くまで飲んで食べていたが、それでも気持ちのいい朝をむかえられた。
 


今日から我々の旅には強力なサポートカーが同行してくれる。車があるおかげで、別次元の旅に変身する。

自転車3台をそのまま積み込み、いざ大歩危へ向かう。雨上がりの天候で、周囲の山は真っ白な靄の中。


高速道を楽しくドライブし、一気に四国のど真ん中まで移動してきた。やはり車の力は絶大だ。

13時に土佐岩原駅に到着。今日はこの駅に車を置いて周回するショートコースを考えた。
 


吉野川を眼下に眺める西祖谷山村の道を辿り、大歩危駅を経て戻ってこようという作戦だ。

秘境ムードたっぷりのこのあたり、いったいどんなところなのかとワクワクする。


ところが昨日までの大雨の影響で、周回して戻ってくる途中の国道が崩落で通行止めとの情報を得た。

詳しい情報はわからないが、自転車なら戻ってこれるでしょう、との安易な予想でスタートする。


周回コースとなれば、荷物も最小限だ。着替えもなければ、輪行袋もいらない。食料も最小限だ。

おかげで自転車も異様に軽く、いきなりの登りもスルスルと登って行く。

蒸し暑い中の登りで、すぐに大汗が流れ始める。爽やかな風など望むことは不可能だ。
 


Kさんはリアにパニヤバッグをつけた息子のMTBを持ってきた。

結構な体格だが、さすがに鍛えられた脚力は半端なく、不慣れなMTBでグイグイ登って行く。


すごいパワーだ。競輪で鍛えられたのか、トレーニングで鍛えられたのか定かではないが、我々とは次元が違う。

登り始めてすぐに崩落個所の様子が見えてきた。走り始めてまだいくらもたっていない。


上から見た感じでは、道路に土砂が流出した感じで、それほど大きな被害には見えなかった。

すでに重機が入って復旧作業をしているので、そう時間はかからず開通するだろうと感じられた。

これならたぶん自転車は通してもらえそうだ・・・と判断して先へ進む。
 


きつい登りがずっと続く。点々と民家も存在する。途中、村人とも出会った。

しかし、この村での生活はホント大変だろうな、と思った。平らな所がどこにもない。すべてが勾配の中だ。


こうした環境の中で生活している人もいるんだ、と驚いていると立派な小学校が現れた。

この秘境の中、この山の中、この勾配の中にこんなに大きな学校のグラウンド・・・

果たしてどれだけの生徒がいるのだろうか、と思わず考えてしまうほどだった。
 


展望が一気に開けると圧巻の眺めが目の前に現れる。

深い山の隙間を縫うように流れる吉野川。切り立った渓谷。深い谷。


大歩危の景色をこんな上から眺める人も珍しいだろう。

この景色を眺めて、あらためてこの地の険しさが伝わってくるようであった。
 


楽な道はほとんどない。高音多湿でもう衣類は汗でぐちゃぐちゃ状態だ。あまりに暑く、湧水で汗を拭う。

一旦下りに入り呼吸を整える。走ってきた道筋がかすかに読み取れる。
 


道幅も広くなり走りやすくなってくる。トンネルが現れるが、中は暗くそして水浸しだ。

運悪く対向車がやってきた。すれ違うだけでも結構怖かった。
 


何とか山の中から下界へ下ってきた。大歩危の駅を通り過ぎ、国道へ出る。

あとはほぼ平坦な道を車まで戻るだけだ。


前半戦は辛かったが、後半は勾配も緩くなり、ダッシュ合戦で盛り上がる。

車まであと少し、例の崩落個所の少し手前で通行止めが現れた。


工事関係車両が数台止まっていて、完全にここで行き止まり状態になっている。

うわぁ、果たして通してもらえるでしょうか・・・
 


次々車がやってきては、作業員と会話して、不機嫌そうな顔をしてUターンしていく。

自転車は行けますか? なんて聞いたけど、とてもとても通してもらえるほど甘くなかった。ガ−ン−−! 

あと少しで車に戻れるのに、その手前で通行止めだ。なんてこった・・・さて困った。


なんて悩んでいると、遠くから1台の自転車がこちらに走ってきた。残念、通行止めですよ・・・

と思って近づくのを見ていたが、何やらハンドル周りが異様に大きい。何かを括り付けて走っている・・・


何だ? と思っていると我々と合流。

通行止めの事情はすぐ理解したようだが、我々はこの物体が理解ができない。

さらによく見ると、トップチューブに普通の傘が巻き付いている。そして大きなリュック・・・なんだこいつ?
 


通行止めのショックより、彼の姿の方がショックで、さっそくいろいろ聞いてみた。

彼は琉球大学の学生で、黒い物体は愛用の「三味線」だそうだ。なんでまたこんなもの持って走ってるのか・・・


聞けば、彼は毎日これを弾かないと寂しくて眠れないらしい・・・ホントか嘘かわからないが、とにかく驚いた。

ハンドル上部に三味線を乗せて、トップチューブに傘を括り付け、大きなリュックを背負ってロードで走る・・・


いゃぁ、長いこといろいろなサイクリストを見てきたけど、こんな人は初めてだ。

まあ、ここで出会ったのも何かの縁。意気投合して大歩危の駅へ一緒に戻ることに。

走る姿を後ろから見ると、もう異常としか言いようがない。よくこれで走れるもんだ・・・と感心しまっくり。
 


道路は通行止めだが、列車は動いている。彼は輪行袋を持っているので、大歩危の駅から輪行で脱出だ。

我々は完全に大歩危の駅で身動きが取れなくなった。


列車で車を取りに行っても、通行止めで戻ってこれない。

輪行もできない、車も取りに行けない・・・こうなりゃ、ここで泊まるしかないと、唯一の民宿を確保した。

列車を待つ間、彼に一曲お願いしますと頼んでみると、さっそく三味線を取り出して演奏し始めた。
 


さすがに毎日肌身離さず大事にしているのだろう、見事な音色と歌声を我々に披露してくれた。

まあ、とにかく驚きました。こんなサイクリスト、まず日本に彼一人だけでしょうね。

あまりに楽しい出会いに、最後は我々も踊りをサービス。いやはや、楽しいフィナーレとなりました。
 


無事に彼が乗車したのを見届けて、ようやく自分たちのことを考える。

確保した民宿は、本当に素泊まりの簡易な所で、何も設備はない。


当然食事はない。そして我々は着替えもなければ、身の回りの物は何も持っていない。

頭の先から全身汗だく、そして衣類もびしょびしょ・・・もう不快感極まりない。


食事は唯一開いていた駅前の食堂に入るが、お盆の時期で食べるものもほとんどなし。

なんとかお願いして焼きそばと、ビール、そして家族が夕食に食べるはずだったおかずまで提供してもらった。

もう、なにもかも予想外で笑うしかない、といった感じだった。
 


下の写真はこの日泊まった「民宿 大歩危」だ。当時の写真がないのでGoogleストリートビューより拝借した。

2014年2月の撮影だが、1992年当時と外観はほとんど変わっていない。2階が我々が泊まった部屋だ。

この民宿がなければ大変なことになっていた。駅で寝るしかなかったかもしれない。本当に助かりました。
 


1992/8/14(金)


昨日は大変な一日だった。まさかここで一泊するなんて思ってもみなかった。

まあ無事に朝を迎えられたことに感謝するしかない。


朝食は昨日の食堂でお世話になった。本当にお世話になりました。

今朝も朝から雨模様だ。それでも通行止めも復旧したらしく、我々にもようやく運が向いてきた。


Kさんが列車で隣の駅、土佐岩原まで行って車を取ってくることに。民宿の窓からKさんを見送り手を振る。

列車が発車して18分後に車が戻ってきた。何という速さ・・・たったこれだけの距離で大騒ぎだったんだ。


大歩危を離れる。いろんなことがあった。一生忘れられない駅になった。

また雨足が強まる。今日も荒れた天気になりそうだ。

道路崩落個所を通過する。通過できた喜びと、昨日のくやしさ、残念さが入り乱れて複雑な心境だ。

 


しかしよく降る。連日の雨で、河川の水量は物凄い。

こんな天候では自転車で走るわけにはいかなかった。今日も車での移動の旅となった。

目指すは徳島。念願の阿波踊りを堪能する予定だ。


ドライブとなればさっそく観光だ。Kさんのお勧めで龍河洞を見学する。

夏休みとあって観光客で一杯。洞窟内も渋滞。この時期は仕方ないか、と諦めモードで見て回る。
 


しかし雨はやまない。いざ徳島へ向けて、四国の山道を延々と走り始める。

険しい道がずっと続く。水量豊富な川は迫力満点だ。

凄い所だ、徳島は。この迫力、険しさはちょっと関東では味わえないかもしれない。

ようやく見つけたガソリンスタンドで給油する。
 


国道193号は迫力満点の道だ。

素掘りのトンネルあり、数々の滝があり、川には向こう岸に渡る籠までかかっている。
 


大釜の滝は凄い水量だ。まるでダムの放流みたいな勢いで水が流れ落ちる。

巨大な岩がゴロゴロ転がり、ガードレールのない所では大きな岩が目の前に迫ってくる。


雲早トンネル(土須峠)を越えると一気に開けるが、この天気では真っ白で展望も全くない。

いやいや、凄い道だ。しかしここは絶対に自転車で走らないとだめでしょう。素晴らしいコースだ。
 

19:30 とうとう徳島までやってきた。長い長い道のりだった。

四国も西から東へ移動してきた。しかし、とんでもなく楽しいドライブだった。


車を公園にデポして、阿波踊り会場まで自転車で行く。市役所前のメイン会場はすでに熱気に満ち溢れている。

初めて見る阿波踊り。もうワクワク興奮するばかり。


小雨が降ったりやんだりの天候だが、そんなこと関係ないほどの踊りが目の前で披露される。

「連」という形で踊りが披露されるのか、と初めて知った。
 


笛、太鼓、鐘のアップテンポのサウンドが、腹の底まで響き渡る。とにかくすごい迫力だ。

そして一糸乱れぬ踊り子たちの演技と、見事に揃った演奏に魅了される。


男踊り、女踊り、連によって演出がそれぞれ違う。とにかく、見ているだけで何もかも引き込まれる世界だ。

これだけ多くの踊り子、鳴り物(演奏者)と観客が一体になって、夢の世界を作り上げているような感じだ。
 


すべての踊りが素晴らしかった。有名な「連」もあれば、まだまだ小さな「連」もある。

個性豊かな「連」の中でも一番気に入ったのが「レレレの連」だ。

”踊るアホウに見るアホウ”
”同じアホならレレレのレ”
”おでかけですかレレレのレ”

ほうきを持っての踊りは、一度聴いたら忘れられないパフォーマンスだ。笑った、笑った、大好きになった。

最後は観客も客席から降りて踊りに参加する。

もう、気持ちがマックスに達しているから、恥も外聞も関係なく踊りだす。
 


楽しい。とにかく楽しい。こんな愉快なことがあったんだ、と思うぐらい楽しい。

膝を曲げ腰をちょっと落とし、あとは適当に手のひらを返せば即席の阿波踊りの完成だ。

へたくそでも全然恥ずかしくない。まさにアホウになれた瞬間だ。


勢いあまって踊り子さんたちと記念撮影。皆さん本当に笑顔が素敵で、素晴らしい若者たちだった。

小雨と汗が入り混じって、もう何が何だかわからない状態であったが、最高の徳島の夜を満喫できた。
 


車に戻って”阿波踊り反省会”だ。

もう阿波踊りに感動しすぎて、精神状態も少々おかしくなっている。

素晴らしかった。本当に素晴らしかった。心から感動した。


徳島、いい所だ。大歩危から阿波踊りに至るまで、いろいろなことがあり過ぎて記憶が定かではない。

大自然と、魅力あふれる人々。徳島の魅力をふんだんに味わえた二日間だった。
 

 

(1992年8月 走行)


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