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C

東京(8/7)〜博多〜川内〜知覧〜指宿〜西鹿児島〜熊本〜阿蘇〜高千穂〜宮崎〜羽田(8/15)

1993年8月14日(土)

久木野教育キャンプ場 〜  阿蘇


子供たちは朝から元気にはしゃいでいる。
我々は疲れもピークに達して、まともに動くこともできない。

朝食を食べ、テント・タープを片付ける。やることだらけで時間がどんどん過ぎていく。
結局今日もスタートは9時過ぎになってしまった。


重たい荷物もここまでだ。
さっそくお店を見つけて段ボールをもらって荷造りだ。

サイドキャリアも外し、最小の荷物だけ残してすべて梱包する。
大きな段ボール箱が一杯になるほどの荷物だ。持っただけで恐ろしくなる重量だ。


驚くほど身軽になった。いつもこの解き放たれた瞬間をよく覚えている。
あまりに重かったフロントから解放されると、軽すぎてハンドルがガタガタと震えるほどだ。

走りは異次元の軽さに大変身する。
ギヤチェンジがいらない。ダンシングできる。フロントが持ち上がる。とにかく、軽い!


身軽になったとはいえ、やはり阿蘇の登りは長く、そしてきつい。
真夏の日差しの中、額から汗が流れ落ち全身汗だくだ。

唯一の救いが、この雄大な眺めだ。
緑の草地が視界一面に広がり、疲れた体に安らぎを与えてくれる。


標高950m付近から、1.6km程の長いトンネルがある。
車やバイクが多い中、自転車がトンネル内をノロノロ走るのは危険だ。

そのためにハンドルにライトを付け、後ろ向きに照らして走ることにした。
これで多少こちらの存在がよくわかるだろう。


いよいよ阿蘇山ロープウェイの駅が近づいてくると、放牧された馬の姿が見えてくる。
広大な草地のあちらこちらに、のんびりと草を食べる姿が見えてくる。
美しい風景だ。こんな景色を見れるのは、日本の中でもきっとここだけだろう。

登り始めて約2時間半、やっと阿蘇山ロープウェイの駅に到着。
まずは空腹を満たすために、「阿蘇溶岩プレート」の鉄板焼きで昼食だ。
ジュージューと美味しく焼いて、ここまでの疲れを回復する。

食事をしていると、なんと駐車場に牛がゾロゾロと集まってきた! うわ、何だ何だとビックリ。
いったい何しに来たの? 食事ですか?


ここから火口まではロープウェイに乗っていく事にした。
本当は火口までは「阿蘇山公園有料道路」で行くことができるのだが、昔登った経験から今回はパスすることに。

ロープウェイからは、火口へ向かう道路が眼下に見える。よく見ると自転車が2台登っているではないか!
あぁ、自分もこの道を頑張って登ったっけな・・・若かったなぁ、と思い出す。
そして一気に「火口西駅」に到着する。


懐かしい。1975年8月、初めて阿蘇の火口へ来た時を思い出す。
いくつものシェルターが設置されているが、当時は確かなかったように記憶している。

多くの観光客で火口付近は賑わっている。
やはり何度見ても阿蘇の火口は物凄い。真っ白な水蒸気がモクモクと湧き上がっている。
そして相変わらず硫黄を売っていた。いったいここで硫黄を買う人はいるのだろうか?


たっぷり阿蘇の火口を見学した。とにかくそのスケールに打ちのめされそうな感じだった。
これほどの大自然の前では、人間の存在なんてほんとちっぽけだと感じるばかりだ。

さあ、待望のダウンヒルだ。この旅、本格的なダウンヒルはこれが初めてだ。
荷物を降ろした軽量のランドナーは、恐ろしいほどスピードが出る。
見通しもよく、路面も奇麗なので安心してスピードが出せる。


【1975/8  思い出アルバム】 阿蘇山


この写真は最初に阿蘇を登った時の写真だ。
当時はもちろんキャンピングスタイルで火口まで登っていった。

それはもう極限の辛さだった。重すぎて、押して歩くのさえやっとという凄さ。
地球とは思えないような風景の中、一生の思い出に残るような過酷な一日だった。


【1975/8 思い出アルバム】 こんなこともあった

ダウンヒルは快適だけど、調子に乗って飛ばしていると、予想外の物体に出くわすことがある。
特に、牛や馬が放牧されている所では注意が必要だ・・・

こんなことがあった。
快適なダウンヒル、 気持ちよく左コーナーに差し掛かった時事件は起きた。
先頭を走る仲間の目の前に、 いきなり何頭もの牛を引きつれた「物体」が突然現れた。

キャンピング車ゆえ、そう簡単に制御できず、もはや牛に激突か・・・ と自分は後ろからその様子を見ていたが、ぎりぎりの所で逆ハン切って車体を制御!
わずかに牛さんのお尻あたりに軽く触れるぐらいで立ち直った。

一方、牛のほうが逆に驚いて、皆興奮して道路脇に横っ飛びしていた。牛を引いていた人も興奮をなだめるのに苦労していた。
大事故にならなくてよかった。「牛に激突!」では笑い話にもならない。 

阿蘇 〜 高森(タクシー輪行) 〜  高千穂峡


高森駅まで無事に下ってきた。さあ、今日もこれから忙しくなる。
実は昨日、電話で高千穂峡の宿を予約しておいた。

いよいよ旅も終盤戦にさしかかり、帰路を考えると高千穂峡まで行かないと厳しい状況だった。
高森駅前でタクシーを捕まえて事情を話す。

自転車2台を分解して、トランクと後部座席に押し込む。
「どっから来たん?」と運転手。「東京からです」と答えると・・・「と・う・きょう?」と驚いた様子。

そんな感じで無事に乗車完了。あとはしばらくは3人でのドライブが始まった。
16:40 タクシー輪行の出発だ。


17:38 ホテル前に到着。運賃 \9060でした。下りも登りも結構あった。
タクシーに乗らなければここまで来ることは不可能だった。

無理はしたけれど、これで正解だった。
明日の最終日、なんとかゴールできる目途がたった。

●動画 阿蘇山火口から、タクシー輪行で高千穂へ https://youtu.be/oLQSTDLM4ew


長かったキャンピングも今夜が最後だ。
ここまでなんとか無事に走ってこれて、もう大満足の夜だ。

テントの夜も最高だけれど、やっぱり旅館は楽だ。
何もしなくていいし、布団もふかふかだ。


夕食を終えて、高千穂神社へ神楽を見に行く。

高千穂へ泊まっている多くの観光客で高千穂神社は満席だ。
初めて見る神楽。いったいどんなものかと興味津々だ。

神楽の内容は「作物の実りに感謝し、翌年の五穀豊穣を祈る神事」である。
神に捧げる踊りは独特かつ優雅で、時には滑稽な動きを見せてくれたりする。


高千穂神楽

夜神楽の季節は毎年11月下旬から翌年2月までですが、それ以外にも「高千穂の夜神楽」を通年で楽しめるのが「高千穂神楽」です。
高千穂神社境内の神楽殿で毎日20:00から1時間、33番の神楽の中から代表的な4番を抜粋して公開しています。公演内容は日本神話を題材にした演目で、その終盤の山場である「手力雄(たぢからお)の舞」「鈿女(うずめ)の舞」「戸取(ととり)の舞」「御神体(ごしんたい)の舞」が奉納されます。荘厳な雰囲気の中、各集落の神楽の舞手が交代で奉納する本格的な舞が人気です。
高千穂に宿泊する方は、夜神楽の魅力に触れることができる外せない文化体験となっています。
https://www.kanko-miyazaki.jp/event/1172


実に有意義な1時間であった。
最後には、踊り手が面を取って神楽の解説をしてくれる。

数々の神話と伝説が伝えられる高千穂の魅力を語ってくれた。
この旅最後の夜は、実に貴重な体験をすることができた。

●動画 高千穂神楽(高千穂神社) https://youtu.be/7k8lqErS-fk


距離: 39.3 km
所要時間: 6 時間 36 分 00 秒
平均速度: 毎時 5.9 km
最小標高: 388 m
最大標高: 1147 m
累積標高(登り): 812 m
累積標高(下り): 742 m

1993年8月15日( 日)

高千穂峡 〜  槙峰駅(輪行) 〜 延岡 〜 宮崎空港(飛行機輪行) 〜 羽田


最終日の朝を迎えた。
スタートから悪天候やトラブルに見舞われた今回のキャンピング。

なんとかここまで無事にたどり着けただけでも感謝だ。
最終日は、ゴールの宮崎空港に向かってそれほど苦労することはないだろう。


まずは思い出深い高千穂峡を見学する。
以前来た時は、3人でボートに乗って高千穂峡の神秘的な景観を楽しんだ。

あの時と同じ、見事な景観が広がっていた。高千穂峡の素晴らしさを再び味わうことができた。
高千穂から延岡までは、高千穂鉄道に沿って下っていく。

前回来た時は、途中の日之影付近のバス停でキャンプしたことをよく覚えている。
あの思い出のバス停はまだ残っているのだろうか? 


 


【1975/8 思い出アルバム】 
日之影バス停でキャンプ

高千穂峡から川に沿って延岡に向かう途中、絶好のバス停があった。
秘境の川沿いの小さな集落、日之影。見つけたバス停は、3人で寝るには十分な広さだ。

どこかの駅で寝ようかと考えていたが、この時はこのバス停で寝ることになった。

楽しく過ごしていると、なんとお巡りさんが車でやってきた・・・まずい・・・追い出されるか・・・
と心配していたら、なんと「火には気を付けてください」と言っていなくなった・・・ありがたい、よかった。

あれから50年が過ぎた。まだあのバス停は残っているのかとGoogleストリートビューで必死に見つけた!
あった! 確かここだった。目の前に橋があったことを覚えている。そしてこのベンチで寝たのを覚えている!




あの時の日之影バス停はどうなっているのだろう? まだ残っているのか? 
そんな期待を込めて走り始める・・・が・・・その後とんでもないことになった。

九州地方の豪雨、台風の影響がこの辺りにもかなり被害をもたらしている。
道路はご覧の通り川のような状態だ。山からの湧き水は異常な量だ。
ボトルに水を汲むと、一瞬で満タンになるほどの水量だ。


凄い光景だ。まるで白糸の滝のように、山肌の至る所から大量の水が流れ落ちている。
この辺りではまだまだ余裕で、「凄いね!」なんて写真を撮っていたのだが・・・
その先でついに「全面通行止」の警告が出てしまった!


通行止めの警告が出たとはいえ、その先は何事もなく快適な道が続く。
どうせいつものことだ。車はダメでも自転車なら何とかなる。

とにかく我々は、この道を延岡まで行かなければ帰れない。
迂回するなんて考えはこれぽっちも持っていない。

だがしかし、ついに全面通行止めのゲートが登場してしまった。

大きな看板に、真っ赤な字で
「全面通行止 落石の為 当分の間」書かれている。
ちょっと気合の入った看板で、周囲の土砂の様子からいよいよ来たか・・・と感じる。


その先に現れた真っ暗なトンネル。出口も見えない恐怖のトンネルだ。
そしてトンネルを抜けると、ついに「泥沼地獄」が現れた!

いきなり路面が泥沼状態になり、歩くのさえやっとというほどの泥の深さだ。
リムはすっかり泥に埋まり、笑ってしまうほどの汚さだ。

山からは滝のような水が流れ落ちてくる。うわぁ、これやばくない?
そしてついに目の前に立ちふさがる、大崩落が登場した。


とにかくたまげた。凄い規模で崩れている。
道路を完全に塞いでいて、その先が見えないほどだ。

しかし、我々は戻るわけにはいかない。何としてもここを突破して延岡に出なければならない。
その先がどうなっているか心配ではあるが、とにかく行くしかない。時間もない。


まずは空身で状況を確認しに行く。
かなり激しい崩落で足場は相当悪いが、担いで行けば反対側に出れるとわかった。

荷物が少なくてよかった。キャンピングの荷物だったら、突破することは不可能だっただろう。
ちょっとした担ぎ上げなのでそれほど苦労はないのだが、なんといっても足場が泥沼だ。

何もしなくても、ずぶずぶと足首まで埋まってしまう。
一歩踏み出そうにも足が抜けず、靴まで脱げそうになるほどだ。

こんな最悪の状況の中でも、しっかりとビデオ撮影を忘れない。こんなシーンは滅多に撮影できない。


ガードレールを突き破り、土砂は川まで達している。

その土砂の上を、慎重に足場を見つけながら一歩一歩慎重に歩いていく。
早く反対側抜けたいと焦る気持ちを抑え、ゆっくり、確実に進んでいく。


その悪戦苦闘の結果がこの足だ。もう、笑えるほどの汚さだ。なんだこりゃ!
いったい我々は何をしているんだ? こんなことをしていて帰れるのか? 

さらにその先も崩落箇所は続く。
次の崩落は大きな岩が多かったが、足元がぬかるんでいなくて助かった。

再び担いで難所をクリアしていく。そして時間がどんどん過ぎていく。
地獄の行軍だった。疲れ果ててこのスノーシェッドの中を通り抜けてきた。

いまさらながら写真を見るだけでも恐ろしくなる。よくもまあ無事で通り抜けられたものだ。


●動画 日之影付近の大崩落 https://youtu.be/fIrliM2gk8A

今日は9:30 過ぎに高千穂峡を出発した。
延岡までの下り基調の道であればそれほど時間もかからないと考えていた。
しかしここまでの悪戦苦闘で、すっかり予定が狂ってしまった。



やっと日之影の集落までたどり着いた。
なんとここまで、17km走るのに3時間近くかかっている。

このままでは帰りの飛行機に間に合わなくなる。
遅れを取り戻そうと、ここから必死でペースを上げる。

懐かしい日之影のバス停のことなどすっかり忘れて突っ走る。
走りながら頭の中で色々考える。延岡までは無理だ・・・

こうなれば予定変更して、高千穂鉄道で輪行するしかない。
どこまで走るか? 輪行に何分必要か? 
最短20分あれば何とかなる・・・

時刻表を調べると、「13:39発 槙峰駅」の列車に乗らないとアウトだ・・・

疲れ切った体に、最後の最後まで試練が降りかかる・・・果たして間に合うか?

過酷なラストランだった。
すでに体中汗だくの状態だが、必死でペダルと踏む。

下り基調の道とは言え、平坦な道や緩い登りが続く。
自分がペースを作ってスピードを上げるが、次第に後ろが離れていく。

待っていては時間がもったいない。少しでも自分が先に駅について輪行を終えて、手伝おうと先を急ぐ。

喉が乾いて水を飲みたかったが、それも我慢して走り続ける。しかしなかなか駅が現れない。もう、必死だった。
 


まだかまだかとさらに先へ行く。駅を通り過ぎたか? なんて不安にもなってくる。
そしてやっと駅に着いたときは発車まで30分を切っていた。

休む間もなく輪行する。後ろはすっかり遅れてしまって姿も見えない。
大丈夫か? どこにいる? あと20分しかないぞ・・・間に合うのか?

駅には「高千穂鉄道」の車が止まっている。
まさか運休しているのではないだろうな? なんて心配してしまう。

自分がほぼ輪行を終えようとしている頃、やっと姿が見えた。もう今にもダウンしそうな状態だ。
ノンストップで輪行する。そしてできることはなんでも手伝う。


現在の槙峰駅


「急げ!急げ!」「あと3分!」「早く!」と、もうめちゃくちゃな輪行だった。
慌てて片付けたものだから、貴重な水を全部捨ててしまった・・・

手を洗うこともできず、何も飲むものがなくなってしまった・・・
そしてついに1分を切った。列車も少し遅れてくれ・・・なんて願ったが定刻通りにやってきた。


列車がホームにやってくると同時に我々もホームにかけあがった・・・もう、間一髪だった。
ヘロヘロ状態で乗車し、輪行袋を置いてやっと一息付けた。もう、なんなの・・・この過酷な試練・・・

全身汗だく、喉はカラカラ、足は泥だらけ、手は真っ黒、日焼けしたドス黒いおじさんが二人・・・
もう、言葉にならない状況だった。


汚れた二人もなんとか延岡で乗り換えて、ようやく落ち着いて南宮崎駅へ向かう。
駅からはタクシーで宮崎空港まで行く。とにかく最後の最後まで慌ただしいフィナーレだ。

そして初めての飛行機輪行だ。
本当はしっかり自転車を梱包したいところだが、そんな余裕はまったくない。
そのまま輪行袋を預け、手荷物検査へ・・・

「うん? これは機内に持ち込めませんね」とチェックされる。
どうやら工具がまずいみたいだ。自分は輪行袋に入れていたのでセーフだった。


最後の最後まで、色々とトラブル・ハプニングの連続だった。
しかし、離陸してしまえば羽田まではあっという間だ。
いつもの大都会の夜景が眼下に見えてきた。

ついさっきまで、泥だらけになって崩落個所を彷徨っていたとは思えない。
それにしても、思い出深いキャンピングになった。
だからいつまでもキャンピングはやめられない。



最後に 32年前のツーリングを振り返って


このツーリングレポートを書いているのが、2025年3月。約32年経過している。
当時のことを思い出すのは相当困難だ。

写真、ビデオ、時刻表、カシミール、Googleストリートビューなどを総動員して作成した。
当時の時刻表を知りたくて、国会図書館に行ってコピーしてきた。
高千穂鉄道の時刻表が何としても必要だった。時刻表を見ていると、当時のことが思いだされる。

GPSのない時代のツーリングは、後から振り返るのは非常に困難だ。
写真やビデオに写しこまれた時刻がとても重要だった。
そこからヒントをもらい、距離・時間経過などから走行ルートも導き出した。

何度もGoogleストリートビューと写真を見比べて、通過地点を推理していく。
おかげでもう一度走ったような気にもなる。

ツーリングの振り返りは実に面白い。かすかな記憶を頼りに、また次のツーリングを振り返りたい。



距離: 35.1 km
所要時間: 4 時間 15 分 00 秒
平均速度: 毎時 8.2 km
最小標高: 62 m
最大標高: 311 m
累積標高(登り): 206 m
累積標高(下り): 392 m

(1993/8/14-15 走行)


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