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天城峠負傷者救助の巻

「負傷者発見」


2000年2月19日 天気曇り
八丁池で出会ったご夫婦は、会話を交わしたところ、ここには何度も来ている大ベテランですでに100回近くになるという。四季おりおりの池の様子を私に詳しく話してくれた。装備もしっかりしており、本格的なハイカーであると感じられた。

「それではお先に」
「お気をつけて」
と挨拶をして、ご夫婦は池を後にした。気温はどんどん下がり、温度計を見れば0.4度を示している。天気もますます怪しくなり、時間はまだ早かったが私も池を後にした。
八丁池から林道まで少々登り返す。来る時には池の入り口で工事をしていた人の姿も見えなくなっていた。どうやら私が最後の存在らしい。林道を戻るとすぐに御幸歩道の分岐が右にある。これを下れば旧天城トンネルの右脇に降りられる。写真を撮った後、先を急ぐ。このまま、雪が降ってきて積もったら、車も動けなくなると思い、できるだけ天候が悪化しないうちに旧トンネルまで降りたかった。

御幸歩道は下り始めから本格的な山道で、自転車はまったくお荷物状態であった。大きな岩、深い段差、張り出した木の根、小橋などが続く。自転車を押していければまだ楽であるが、担ぐまではいかないものの、フレームを持っての乗り越えは時間とともにかなり腕に負担がかかってくる。しばらくはこんな状態が続くというのは前もって分かっていたが、この荒れ方はかなり厄介であった。

おかげで、あれだけ冷えていた体もとっくに熱くなり、今度は全身汗をかきはじめた。時々休んでは汗を拭う。5名ほどのパーティーとすれ違う。自転車に驚いているが、かなり息も弾んでいて挨拶も少なめ。さらにもう一組、軽ハイキングの様子の男性2人とすれ違う。今から池に行くのか、寒いぞと思いながらこちらも下る。

御幸歩道入り口から1.5キロほど下ったあたりだろうか、池で話をしたご夫婦の姿を発見した。休んでいる様子だ。しかしかなり前に池を出たはず。どうして追いついたのだろう?まずはそのことが疑問だった。近寄ってみるとご主人が座って靴を脱いでいる。表情は、疲れたという様子。
ああ、たぶん疲れて休んでいるのだろうと最初は思った。

自転車を山に持ちこんでいてハイカーに出会うと、まずハイカーの邪魔にならないよう、できるだけ行動をともにしないようにしている。追いつかれたら道を譲る。追いついてしまったら、先に行くというように、お互いの楽しみを邪魔しないように心がけている。今回も、不思議にも追いついてしまってこちらも困ってしまった。

先に行こうとそばまで来た時、休んでいるのではなくちょっと足を痛めたのかなと気がついた。ただし、多少の打撲程度ではないかと感じられた。まあ、これだけ荒れているから、岩にでもぶつけたのかと思った。ご主人の表情は多少苦痛の表情であったが、声を出すわけでもなく、また奥さんも慌てる様子もなかった。立ち止まって様子を見たが、まあ、たいしたことではないだろうと挨拶を交わして通り過ぎ、ご夫婦の姿も見えなくなった。

と、その時であった。

「おにいさん!携帯持ってます!!」という悲痛の叫びが自分の背後から聞こえてきた。
その声にドキッとして立ち止まった。穏やかな奥さんの声にしてはかなり緊迫した声であった。
「も、持ってますよ!…でも、ここじゃ繋がらないかも!」
お互い姿は見えない中でのやり取りだった。距離的には20mほど離れていただろうか。
すぐにフロントバッグから携帯を取り出した。やはり圏外のマーク。アンテナを伸ばしても、位置を変えても駄目だ。
すぐにその場に自転車を置き、ご夫婦の元へ戻った。

「通報」

これは何かあった、とここで初めて思った。
戻って様子を詳しく聞く。
すると、下りで足場を誤って踏み外したらしい。転がったとも言っていたような気がする。あらためてご主人の様子を見てみると、右足の靴を脱いで足首を気にしている。よく見ると、なんと足首がかなり腫れ上がっているではないか!。足のくるぶしがわからないほどだ。水をかけて冷やしたらしく、足首が濡れている。
一瞬、捻挫かと思った。

「折れているかもしれない」
とご主人が自分で言ってきた。

これは歩けないな、と直感した。
かなり痛いのであろう、声には出さないまでも表情が苦痛にゆがんでいる。さっき通りすぎる時には、私への遠慮があったのだろうか、あるいは状況が困惑していたのだろうか、私に助けを求めなかった。しかし、奥さんもハッと気づいたのだろう、私の姿が見えなくなってあわてて大声で私に助けを求めた。

一気に私も緊迫してきた。

これまで、山の中で多くの時間を過ごしてきたが、こうした負傷者を目の前 にすることは初めてであった。

何をどうすべきか。

最初に思ったのはご主人を背負えるかだった。しかし、こちらには自転車があるし、見たところかなりの荷物と体格の良さ。私の力では到底無理なのが目に見えていた。
幸い、時刻は2:30分。日没までは3時間ほどある。下山するまで1時間もかからない。それから連絡しても十分間に合うと判断した。ご主人は辛そうながらも、命が危ないわけでなく、奥さんをここに残し、自分が下山して救助を求めるのが最善であると判断した。

ここで私もふと冷静になる。ツーリング中、常にポケットに入れてあるICレコーダーを取り出し、この会話を録音する。現場の位置、負傷状況、負傷者の名前を録音する。何の役に立つか分からないが、携帯が通じた時のために忘れないようにと思いついた。さらに高度計で、現場の高度を確認しておいた。

「必ず連絡しますから、待っていてくださいね!」
と勇気づけ現場を離れた。

どこまで降りれば携帯が繋がるだろう?
とにかく頼りはこの小さな携帯電話一つにかかっていた。

山での事故、負傷、遭難のために携帯電話を持つようになって2年になる。それまでは、一度もこうした場面に遭遇したことも、自分が負傷したこともなかったから必要性も感じていなかった。しかし、しだいにプランニングも高度になったり、日没のツーリングを経験したこともあり、最近は必ず携帯を持って山に入るようになった。過去にも山の遭難で、携帯電話で助けられたという新聞記事を記憶している。自分には、せいぜい行き帰りの連絡手段にしか使用する機会がなかったが、いよいよその役目がやってきた。

先を急ぐ。少し下った所で立ち止まり携帯を取り出す。周囲の状況に変化がないからここでも圏外だろうと思った。
ところが、なんとアンテナが1本立つではないか!
よし! と思いすぐに110番へかける、が通じない。やはりまだ駄目なのか?
あきらめず、119番へかけてみる。すると今度はつながった。

神経は高ぶっていた。

しかし、電波状況がかなり悪い。まともに会話ができない。ちょっとでも体の向きが変わると会話が途絶えてしまう。説明しようにも、「もしもし」の繰り返しばかりだ。そのうち、なんとか安定した位置を見つけ出し、動かないように状況を説明し始めた。

ところが、まず驚いたのはこちらの消防は管轄が違うので電話を転送するから待っていてくれと言われた。いつ切れるかもしれないというのに、この待ち時間は辛いものがあった。再び、状況説明のやり直しである。
携帯電話も冬季の寒い中ではバッテリーの寿命が短く、残量も十分とは言えなくなっていた。できればこの先のためにできるだけバッテリーの消費を抑えたかった。

通報できれば安心できると思っていた。

しかし、それは大きな間違いであった。
まず状況を説明するが、現場の位置を理解してもらうのにかなりの時間を要した。
これは今後のためにとても勉強になったのだが、警察、消防に現場の詳しい地名を話してもすぐには分かってもらえないということだ。
山に入る人は、登山地図なり、5万図なりを持っているから林道の名前や、沢の名前などを伝えられるが、この第一報では現場の位置を理解してもらうために、一日の全行程を説明しなければならなかった。

どこから入って、どこで分岐して、どこを下っているのか…
下って何分ぐらいか、下から上って何分かかるのか…
負傷者の年齢は、負傷した場所は、頭を打っているのか…
現場には誰がいるのか、あなたも一緒なのか…
あなたはどこの誰で、今どこにいて何をしているのか…

ご夫婦はこの場所に詳しいから、私に現場の位置をしっかり伝えていた。
下ってから小橋を2つ渡った所、「おうみ分岐の下」と言っていた。
それを聞いただけでも相当詳しいと感じられ、そのまま消防に伝えたのだがまるで理解してもらえなかった。
「標高1000メートル付近です」とも伝えたが、参考になったかどうか…
初めて訪れた地で、こちらが聞きたいくらいなのに、自分のほうが詳しく道の説明までしなければならず時間が過ぎるばかり。

悪いことに、この天城峠周辺は、新天城トンネルと旧天城トンネルがあって、稜線沿いに何本か道があって紛らわしい。消防の方も地図を広げているらしいが私のほうが周囲の説明をしなければならないという状況だった。
電波状況の悪い中でのこの「格闘」にまで近い会話には、時間の無駄といらだたしさを感じざるをえなかった。

仕方がないのはわかっていた。迅速な救助を行うには、正確な情報が必要だ。時には通報者の言っている事が間違っていることも考えられる。その気持ちを分かりながら私も興奮を抑えながら詳しく説明していた。

かれこれ15分ぐらい話していただろうか。自分の携帯の番号を伝え、ようやく下山の再開となった。

「救助活動」

とりあえずこれでひと安心だった。こんなに早く通報ができるとは思ってもいなかった。これで早い時間に救助できるだろうと思った。

連絡がとれたことをご夫婦に知らせたかった。山の中に残されてさぞ心細いことだろう。
誰か、登ってくるハイカーが来ないだろうか。来れば伝言してもらおうと考えていた。

先を急いだ。あの話の状況では、自分が下まで降りて案内をしなければ現場がわからないだろうと思っていた。
旧トンネルまで標高差300m。さて何分かかるだろう。
どうやって助けるのだろう。下から担架担いで登ってくるしかないだろうな、登ってくるのも大変だし、降りるのも大変なことだ。まあ、とにかく自分が先に旧トンネル入り口まで下りないことには…

道は相変わらず荒れている。乗車率が良ければこういう時に自転車の機動性が発揮できるのだが、この道では逆に負担になるばかり。
急がねば、と思った。しかし、その焦る気持ちとともに、落ち着かねばと思った。ここで自分も怪我をしては最悪の事態になる。そう考えながらもやはり気持ちは焦るばかり。

通報してから10分ぐらいたっただろうか、かすかにサイレンの音が聞こえ始めた。
「早い!もう来たか!」
さっきのいらだちから今度は歓喜の気持ちに変わった。
次第にサイレンの音が近づき、静かな山中にけたたましい音が鳴り響き始めた。きっとこの音もご夫婦に聞こえているに違いない。自分達を助けに来てくれたと分かってくれただろう。
くしくも、このけたたましいサイレンが伝言の役目を果たしてくれた。

さあ、早く来てくれ。登ってきてくれ、と期待した。
すると携帯が鳴った。
「もしもし、高須さんですか?」
「そうです。」
「消防の者ですが、現場に着いたのですが高須さんの姿が見えません。今どこにいるのですか?」 ときた。

おいおい、こっちはまだいくらも下っていないんだぞ。電話していて一歩も動いていないんだぞ! そう簡単に降りられるかい!
現場に着いたって、いったいどこに着いたんじゃ? 着いたのならさっさと登って来い!
なんて気持ちだった。
こっちは必死に下山中であることを伝えたが、ここでも再び負傷者の様子と、現場の位置確認に時間をとられた。
同じ事を何度も言わせるな! 俺の言ったことをちゃんと伝えろ、このボケ!
なんて気持ちだった。

消防の方も、現場に着いて一刻も早く救助活動をしたいのだろう。その気持ちも充分わかっていた。

とにかく降りないことには話が始まらない様子だった。サイレンの音を聞いて安心したのもつかの間、やはり自分が道案内をしなければ助からないと思えた。

救急車、パトカー、消防車、フル出動だった。ますますサイレンの音が大きくなっていく。ああ、自分の通報でこんな事態になってしまった。何か、自分がとんでもないことをしでかしたような気持ちにもなってきた。

待っていてくれ、この俺がすべてを説明してやる!そんな気持ちで一杯だった。

その後、50メートル降りる度に携帯が鳴った。

相手はとにかく、今どこにいて、何をしているのかを知りたがっていた。
登り始めたのであろう、息が弾んで苦しそうな話し方だ。

さらに、防災ヘリまで出動した事を伝えてくれた。

何?、ヘリだと? そんな大袈裟な事態になってしまったのかい?
ヘリと聞いて、逆にこちらが事の重大さに驚いてしまった。
まあ何でもいい、そのまま登ってくれば自分と会えると伝えた。

お互いに出会うまでに、そう時間はかからないだろうなと思った。

「バリバリバリバリ…」
すぐにやってきました。ヘリが。本当にヘリがやって来ました。
うわあ、とんでもない事態だ。こりゃちょっとした映画並だ! なんて思った。

「二次遭難?」

救助に向かったものが逆に遭難してしまう、なんていうことがよく起きる。
冷静さを失い、我を忘れて行動するため、誤った判断を犯してしまう。

実は、危うく私もそれを犯すところだった。

次第に下の国道が視界に入るようになった。しかし、まだ車が米粒ぐらいの大きさだ。
その後も何度か携帯が鳴り、相変わらずのやり取りを続ける。
時には、テクニカルポイントを走破中に、時には難所をクリア中に鳴った。
いい加減、携帯がうるさくなった。電源を切ってやろうかとも思った。

俺が降りるまで待ってろ、ちゅうに!

暑かった。アンダータイツに防寒具でしっかり着込んでいる中でのオーバーヒート気味の山くだり。
立ち止まると、自分の蒸気で眼鏡が真っ白に曇ってしまって何も見えなくなる。
喉が乾いた。呼吸を整えたい。一服したい。

パトカーの姿が徐々に大きくなってきた。そろそろ旧トンネルは近いと感じられた。

このルートは案内板が整備されていて、分岐地点には必ず案内がある。「旧天城峠まで何キロ」としっかり書いてある。
この案内に従って先を急いだ。

「旧天城峠、旧天城峠、旧天城峠…」
頭の中にはいつしか、旧天城トンネルではなく、旧天城峠に目標が入れ替わっていた…

旧天城峠は二本杉峠とも言って、旧天城トンネルを通り越し、さらに30分も先に入った峠である。
なんと自分はまさしくこの旧天城峠を目指して進んでいたのである。

いつもであれば、大きな分岐など見落とすことなど考えられないのであるが、こうした状況のもとでは、いくら自分は冷静だと思っていても、実際の行動は信じられない事をしでかす。

まだかな、と感じ始めていた。かなりパトカーに近づいたにもかかわらず、道はそれ以上高度を下げなくなっていた。
道は平坦になり始め、次第に登り始めていた。

おかしい。
血の気が引くのを感じた。

そして今度は自分の危険を感じた。

自分は今、どこにいるのだろう? と。

二次遭難、そんな言葉が浮かんできた。

すると、また携帯が鳴った。

相変わらず姿の見えない自分に、待ちくたびれた様子だ。

「どこにいるんですか?」
「いや、あの、その…どうやら道を間違えたみたい…」

すっかり自分の自信を失い、これまで伝えてきた現場へのルートに自信が持てなくなっていた。
「ひょっとしたら、私が言った道は間違っているかも…・」
「え!、道が違う? 道が違うんですか?」
「一本違うかもしれません…」(実際には間違っていなかった、自分が行き過ぎただけだった)
「隊員には会えましたか?」
「いえ、まだです」

すると上空にヘリが現れた。誰を探しているのだろう。ひょっとして自分を探しているのではないかと思った。
木々の隙間からしっかりとヘリの姿が見える。ヘリも、隊員が身を乗り出して捜索している。
自分を探しているのではあるまいな、もちろん負傷者を探しているのだろうな。きっとそうに違いないと思いながらも、今現在自分の位置を見失った瞬間、ヘリに助けを求めたくなった。

大きく手を振った。

気がついただろうか?
何か目立つものはないか? 光るものはないか?
そうだライトだ!

素早くライトを取りだし、頭上をヘリが通り過ぎる時、ヘリに向かってライトを点滅させた…

そのままヘリは去った。

一体何をしているんだ、自分は?
自分が遭難したのか?
何でこっちが助けを求めなければならないんだ?
ヘリが去って静かになって気がついた。
ここでようやく、先程案内板があったことを思い出した。とりあえずそこまで戻ってみようと思った。

案内板まで戻って、周囲を見渡して、そして力が抜けた。
旧トンネルへ降りる分岐がそこにしっかりあった。
何でこんなものを見落としたのだろう。
旧天城峠の文字だけしか眼に入らず、まったく疑問に思わなかったし立ち止まることもしなかった。

くそ! と思い先を急いだ。もう100m先には隊員の姿も、消防車の姿も見える。隊員がうろうろしている姿を見て、思わずチンカンベルを鳴らした。透き通ったベルの音が響き渡るが、気がつかない。こんな音じゃ聞こえないのか?
そうだ、いいものを持っていた。呼び笛である。ほんの小さな小指の先ほどの笛であるが、フロントバッグにいつもしのばせていた。

これでどうだ!とばかりに「ピー、ピー」と吹きながら先へ進む。
ほれ、ここだ!、こっちを向きなさいって!

結局、効果なかった。消防車のエンジン音にすべてかき消されていた。
ライトといい、ベルといい、笛といい、立て続けに連続攻撃にでたが、無駄な抵抗だったようだ。

そして、ついに旧トンネルに降りきって、消防隊員に出会えた。

 

「下山」

「通報者の方ですか?」
「そうです」
こちらが自転車で降りてきた姿を見て、少々驚いた様子。
そういえば、自分が自転車で来ていることをまったく話していなかった。

「えー、ただいま通報者と遭遇しました」
と無線で本部に連絡を入れる。

さっそく、詳しい状況の説明に入った。
旧トンネル付近は、このものものしい騒ぎに観光客も驚いている。
山から降りてきた自分をみて、「この人が遭難したのか、自転車なんかを山に持ちこむからだ…」
なんて冷たい目でこちらを見ている。
隊員に囲まれ説明している姿は、まさにこの騒ぎの当事者に見えたことだろう。

隊員が用意した地図で、負傷者の位置を確認する。
「この道を降りてきたんだな」
「池まではどうやって行ったんだ?」
「この寒天林道を登って行ったんです」
「ここから登るより、上から降りたほうが早いな」
「そうですね、そのほうが早いです」

そう言われて、御幸歩道入り口までは車で行けることに気がついた。
そうか、その手があったか!自分が山道を降りることばかり考えていたから、上まで車で行くなんて考えはまったく思いつかなかった。
その手段に早く気がついていたら、すでに救助隊が現場に着いていたかもしれない。

「えー、負傷者の位置を確認しました。」
「現場には、上まで車で行き、降りたほうが早いです」
「ヘリは降りられるか?」
「い、いや、ヘリが降りられるようなところじゃないです」
そして、すぐに救援の車が動き出した。

ようやく、自分の役目は果たせた。
あとは、無事に救助されることを待つだけだ。

喉がカラカラだった。
わずかに残っていた水を飲み干す。
タバコに火をつけ、深くため息をついた。
気がつけば、頭は汗でずぶぬれの状態。水でもかぶったような有様だ。
これじゃ、自分が遭難者に見えても仕方がない。

残った隊員に自分の住所、名前、電話番号を聞かれた。
あらためて現場の状況と、負傷者の様子を説明した。

そうだ、いいものがある、デジカメだ。
池で撮った写真に確か二人の姿が写っていたはず。
デジカメでその1枚を探し、拡大して隊員に見せた。
どんな人なのか姿形も分からないだろうと思い見せると、全員が小さな液晶画面を覗き込む。

「こりゃ、便利だ」 と、ただただ感心している。
デジカメもこういう時に本当の利用価値がある。

「驚き」

ようやく汗も引き、落ち着いた。

ところがそのとき、背後から驚くべき声が聞こえてきた。

「ど・・う・・も、おにいさん・・」
その聞き覚えのある声に振り向くと、なんと、現場に残してきた奥さんの姿ではないか!

え、どうして、何で降りてきちゃったの! 
ご主人は、一人で…大丈夫?…

奥さん、なんとご主人の荷物まで持っている。
え?どういうこと?見捨ててきたの?
なんて思っても不思議ではない。

驚いたのと同時に、その行動がわからなかった。
自分が急いで降りてきてからまだ10分しかたっていないのに、この悪路を二人分の荷物を持って降りてくるとは。
本当のベテランか?あるいは相当の達人か?

考えてみれば、通報している時間、行き過ぎでのロス時間を考えれば当たり前の時間なのだが、自分自身では時間の感覚が麻痺していたから、そう思えるのも当然だった。

奥さんは、現場にいて、いても立ってもいられなかったのだろう。
現場にいても何もできないし、少しでも自分の力で助けたかったのだろう。
降りてきた理由を聞かなかったが、自分にはそう感じられた。

これで状況がまたあわただしくなってきた。
今度は奥さんが質問攻めにあった。

「お名前は?」「年齢は?」「住所は?」
再び、負傷したときの状況と、現場の位置を確認をする。

「どうなんでしょうか、まだ助けられないのでしょうか?」
奥さんはとにかく、一人残してきたご主人の様子が気になっている。

一人残されても耐えられる人なのかどうか分からないが、自分としてはご主人のそばにいてほしかった。
どうしようとしたのだろう、下山して自分の力で助けを求めようとしたのだろうか?
サイレンの音が聞こえなかったのだろうか? いや、そんなことはない。
わかっていながらも、一刻も早く誰かに知らせたかったのだろうか?

ご主人には赤いヤッケを渡してきたと言っていた。助けを求める時に使うようにとのことらしい。
寒くないだろうか。かなり暗くなり、気温も低い。食料はあるのだろうか?
一人残された身にとっては心細いばかりだろう。
だから、残っていてほしかった。

下山するまでは、二人一緒だからまだ安心だった。しかし、負傷者が一人残されたとなると落ち着いてはいられない。
このまま、空身で登り返そうかとも思った。早くしないと日没になる。日が落ちてしまっては厄介なことになる。
そんな心配が頭の中を巡っていた。

そうしているとき、無線で連絡が入った。

「奥さん!今、ご主人がヘリに救助されました!」

「はあ・・、そうですか・・」

これだけ、正確な情報を延々伝えたのだから必ず助かると確信していたが、その言葉を聞いて本当に安心した。
力がふっと抜け、緊張感が緩んだ。
奥さんも、ようやく安心したようで、顔に笑みがこぼれていた。

ヘリに救助された、と言っていた。その言葉が信じられなかった。
一体、どうやって救助したのだろう?
ヘリが降りられるような所はどこにもない。隊員が池の付近に降り、そこまで担ぎ上げたのだろうか?
安心したのと同時に、その事が疑問で仕方がなかった。

「右足を骨折しています」
「何処の病院に行くのでしょう?」
「いや、まだわかりません」

こうして、今回の救出劇は終わりに近づいてきた。

「お兄さん、ご住所とお名前を教えてください」
「いや、いいですよ、隊員の人が知っていますから、後で聞いてください」
「本当に、ありがとうございました」

奥さんは、消防車に乗って旧天城トンネルを後にした。
観光客も去り、ようやく旧天城トンネルに静寂が戻ってきた。

車に戻り、いつものように帰り支度をする。
一気に寒さが襲ってきた。
エンジンをかけ、ヒーターを入れ暖まる。

長く、そして厳しい一日だった。
しかし、なぜか心は充実感で一杯だった。
人助けをした、という、そんなことではない。自分が今持っている最大限の力を発揮できた喜びだった。
そして、そのことが人助けにつながった。
そんな充実感で一杯だった。

露天風呂に浸かり、足を投げ出す。
たっぷりとした湯に肩までつかり、夜空を見上げる。
さっきまでの緊張感がまるで嘘のような時間がゆっくりと流れていた。

 


その後
足首骨折により全治2ケ月の重傷を負ったご主人は、その後元気に回復され再び山歩きを楽しんでいるそうです。
 


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