峠への招待 > ツーリングフォトガイド >  ’2000 > 水平歩道・雑魚川林道・渋峠・芳ケ平・尻焼温泉



水平歩道をいつかやってみたい、という気持ちは前々から持っていた。

その名前から来るイメージはとても魅力的であり、またその行程の厳しさが上級者のみしか受け付けないレベルの高さを感じていた。

ニューサイNo.180の永松氏のレポートを参考に、ついに挑戦するときがやってきた。

( ニューサイクリング 1979年10月号 No.180 より )


 ソロで行くにはかなりの決断が必要だった。日本に残された数少ない本当の秘境であり、装備とプランニングを真剣に考えないと危険な場所でもあった。そんな魅力を秘めた水平歩道をいつかはやってみたい、だけど今じゃない、この季節ではない、と毎回先送りになっていた。ここ最近はソロで走ることが多く、ソロに慣れてしまうと走り方も時間の過ごし方も自由になり、結果満足はできるのだけれど、昔のように数人で走ることの楽しさを求めなくなってきている。特に、これぐらい年期をつんでくると、いまさらワイワイ騒ぐ走りよりも、自分の走りを追及し、満足行く時を過ごしたいという気持ちのほうが強く、他人に惑わされず自由に走りたい、動きたいという気持ちが強くなってくる。

 そろそろ走りたくなった頃、プランニングし実行する。精神的にも肉体的にも落ち着いたとき、じっくり計画し、プランを発酵させ、思いを込め旅立つ。そうした時間をかけて一つのツーリングを演出する、そうした工程が非常に大切だ。だから、自分が行きたい時が一番であり、半ば強制的に日時を決められて実行に移すという過程では、なかなかそうした旅への思い入れが深まらない。昔のように、よし行こう、という単純なことでは済まされない年齢になってきているし、それだけ一つ一つのツーリングを大事にしたいと思っている。

 今回のプランは、久しぶりにこの過程を踏まない、いわば半強制的なきっかけであった。夏のキャンピングを終え、しばし休息に入っていた頃、H氏からの誘い。確かに車坂峠以来走っていない。行けば記憶に残るツーリングを残してくる事は間違い無いのであるが、二人でやるにはなかなか満足行くプランを計画できないでもいた。どうせ二人でやるからには、前回の車坂、角間ぐらいに匹敵する内容が望ましかった。

 季節は秋になろうとしていた。夏も終わり、9月も半ば。H氏からメールが来た。今回は珍しくすぐに気持ちが傾いた。去年も水平歩道やろうなんて半分冗談で言っていたが、今回はタイミングが良かった。これから紅葉を向かえ、まだ時間もたっぷりある。今から練って盛り上げていけば、かなり豪華なツーリングを演出できると感じた。早速返事を書くと、すぐに3プランの答えが戻ってきた。水平歩道を含んでの2泊3日のプランニングがおおよそここで決まった。その反応の良さに、すでに旅心に火がともり、その日以来1ケ月かけての準備が始まった。

 当初の予定では10月7日〜9日の3連休を考えていた。まあ、なんとか3連休とれるだろうと考え、宿の手配も苦労しながら進めていた。残念ながら切明温泉は予想通り満員でとれず、和山の民宿に宿を確保した。二日目の熊ノ湯は簡単に確保できた。宿が確保できれば後はじっくり発酵させていくだけであった。

       

 地図を買い、装備を考え、情報を収集し、自転車を考える。気温、標高差、路面、ルート、温泉、キャンプ。日帰りとは違うスケールの大きさに、頭の中に色々なことが浮かんでくる。走り始めたら2泊3日の無防備ツーリングだ。過去でさえなかなか、2泊3日など経験していない。側に車があったり、他のエスケープルートが簡単にあるような、安心できるような所であった。しかし、今回の水平歩道を巡るコースは、スタートしてしまったら、途中エスケープするルートはない。水平歩道は何があっても走りきらないとならない。そして3日かけて周回してくるというビッグランであり、それだけ交通手段が遮断された地域でもある。

 情報を収集していくにつれ、水平歩道に恐怖感を抱き始めた。以前から、ソロでは行けないという恐怖感は持っていたのだが、途中でのテント泊やら、7時から走り始めるとか、断崖絶壁など、行った人が皆大変な苦労を語っている。素人が言っているのではなくそれもツワモノたちの言葉であるからなおさら緊張する。日の長い夏場であれば時間も心配無いが10月ともなれば暮れるのも早い。何かトラブルが起きればそれですべてがおしまいになりかねない。そうしたことから、ソロはまず不可能だと考えていた。

 久しぶりに準備に気合が入った。MTBで行くことは自ずと決まっていた。ランドナーではまず初日の行程に支障が出るのはわかっていた。二日目、三日目を考えるとランドナーでもいいのだが、やはりメインの初日にあわせて装備を決めるべきであった。MTBでの2泊3日の旅。これは始めての経験であった。考え始めると、とにかく装備に関する心配が尽きない。荷物の量を考えただけでも、リュックとサドルバッグだけではまかないきれそうも無かった。考えたくは無かったが、小型のフロントバッグが必要になってきた。また、山道を想定して、しっかりした靴が欲しくなった。

 時間を見つけては、店巡りを繰り返した。フロントバッグを池袋で購入し、本格的なトレッキングシューズ、ザンバラン・ヌーボ・フジヤマを手に入れた。こんな靴、これまでは欲しいとも思わなかったが、水平歩道には貴重な装備であると思われた。

フロントバッグは難問だった。MTBに付けるフロントバッグは、どれも気に入らない。手に入れた物も、そのままでは到底納得のいくものではなかった。装着位置を下げるために、今度は穴あきのプレートを用意し、色々と悩みながら加工を繰り返した。トウクリップは必要無いと、フラットペダルに取り替え、少しずつ少しずつ準備に余念が無かった。

 10日前には装備は万全となった。しかし、当初の予定が近づくにつれ、仕事の関係上都合が悪くなってきた。出発当日は名古屋へ出張。帰宅は遅くなる。そして、10月9日は休日全員出勤。どうにも状況はよろしくなかった。しかたなく、次週へ変更する提案をする。今年の紅葉は遅れているらしく、次週に変更できればなにかと好都合であった。さらに、追加で1名参加することになった。T氏というベテランらしい。会ったことはない。初対面の人とツーリングをするのは珍しく、自分の気持ちの中では好きなほうではないが、このプランでは多少の人数がいたほうがよさそうな気もしていた。まあ、スケジュールがよく合ったものだと感心するのと同時に、それだけ魅力のあるプランニングなのであろう。どんな人なのか、楽しみは現地まで待つことになる。

 結局、翌週へ変更ということになり、さっそく宿の手配を変更するが、幸運なことに切明温泉が予約できた。どうやら、運がこちらに向いてきた感じだ。これで後は当日の天候を願うばかりとなった。

 

 車2台で現地集合、夜11時には着いて仮眠したい。というのが理想であった。そのためには19時台に出発することが必要だった。荷物は全部用意されている、後は積み込むだけだ。しかし、こういう日に限って何かとトラブルが起こる。昔、夜叉神峠へ行ったときもそうだった。ずるずる時間が遅くなり、最悪の旅立ちとなった。今回はそこまで遅くはならなかったが、予定よりは1時間帰宅が遅くなった。

 普段の生活であれば、ゆっくりくつろぐ時間であるが、この日ばかりは帰ってからが一日の始まりでもあった。車に荷物を積み込み、風呂に入り、軽い食事をする。いつもならビールを楽しむところだが、今日はしばしの我慢。とにかく一刻も早く出発しなければならなかった。

 旅立つときはいつも不安になる。あれは持ったか、忘れ物は無いか。そんな不安を持ちつつも最後は開き直って旅立つ。出発は結局8時過ぎになってしまった。家を出たとはいえ、まずはコンビニでの買出しが待っている。現地の状況を想定して、まず何も手に入らないだろう、また、3日分のつまみ類を確保しておく必要がある。前もって鮭大根と、茎わかめは手に入れておいたが、明日の朝食、昼食は準備しておく必要あった。

 仕事の頭から、一気にツーリングの頭に切り替えなければならないのも過酷だ。あまりに世界が違いすぎるから、瞬間的に切り替えろといっても無理がある。仕事の余韻を残しながら、これからのツーリングへの気持ちの切り替えにしばらくは時間がかかる。買出しも終わり、ようやく車も走り出した。

 週末の都内、帰宅時間、さらに環七は祭礼で渋滞の表示。いつもの前夜発とは違い、今日は時間がない。246から環八へ迂回、それでも混んでいる。まあ、いつもそうだ。都内を抜けるだけで1時間はかかる。あせってもしょうがない。関越に乗るまではじっと我慢でいるしかない。天気は冴えない。ただし現地の予報は、明日以降はよさそうだ。なんとか、天気だけは回復してもらいたい。

 ようやく関越へ。ここまでくるととりあえず一安心だ。しかし、1時間のハンデは大きい。H氏は今頃どこなのだろう。まったく連絡がないけれど出発しているのだろうな。連絡がないということは問題がないということだと思うが、行ってみたらいなかったなんて事になったらどうしようもない。どこかで携帯に連絡を入れようと思いながら、とりあえず先を急いだ。

 頭の中には上信越道から行こうという考えしかなく、藤岡ジャンクションで分岐、どこで降りるかは決めていなかった。上信越道へ分岐し、最初のSAでH氏の位置を確認するために電話を入れた。一発でつながり、丁度今SAに入った所だという。場所は高坂SAだという。自分のほうがかなり先行している。驚いたことにH氏は渋川経由で行くらしい。確かにどちらから行っても同じぐらいの距離だが、ルートが違うことで少々不安になってくるが、集合場所を長野原草津口駅とした。30分ぐらいは自分のほうが早そうだから、先に行って早くビールでも飲みたい、余裕で待っていようと考えていた。

 小雨が降り始め、霧も出てきた。視界も悪く、自ずとスピードも落ちてくる。碓井軽井沢で降りる。ここからは中軽井沢、北軽井沢を抜けないといけない。カーナビだけが頼りになってくる。ところが、降りてからはすぐに山越えが始まり、路面はいいが激しい濃霧で前がほとんど見えない。まるで花火の煙の中にいるような感じで、対向車の存在もわからないぐらいだ。慎重な運転で次々コーナーをクリアしていくが、スピードもほとんど上がらない。これでは駅に着くまでが不安になってくる。

 山越えを終えると濃霧も晴れ、走りやすくなってきた。交通量もほとんどなく、静かな軽井沢を快適に飛ばす。北軽井沢を抜ける国道は、この時間は高速道路並の走りが可能だ。貸切の国道で視界良好、道幅充分となると100キロ近い速度で車が行交う。あまりの早いスピードに時々アクセルを戻すが、それでも80キロ走行だ。これだけ飛ばせば集合場所まですぐだろうと思えるが、これが結構距離がある。ほとんど休みなしで走り続け、濃霧やら高速走行で神経もかなり疲れている。早く着いて、車から降りたいという気持ちで一杯だ。とはいえ、慎重な運転を心がける。

 快調に飛ばしていると、闇夜に赤く点灯する光を発見。最初は何だか分からなかったが、近づくと何と警察。まずい、と思った。スピード違反が頭をよぎる。つかまって当然のスピードだ。警官は止まれの合図。半ば堪忍して車を止め、窓を開ける。「飲酒運転の取り締まりを行っています」ということでチェックされる。こっちは忙しくて飲んでいる余裕などなく、どこに行くのかと聞かれ「六合村」と答え解放となった。

 やっと駅が近づいてきた。やれやれということでぐっとスピードが落ちる。かなり疲れている。とりあえず車を止めて、H氏が来るまで休憩だ。30分ぐらい時間はあるだろうと思っていた。懐かしい長野原草津口駅。いつのツーリングだったかわからないが、何度か来ている。さて、車をどこに入れようかと、ノロノロ走って駐車場を発見。ゴールイン、やっぱり先に着きました…お疲れ様、と車を止めた瞬間、何とH氏組が一緒に駐車場に入ってきた。何?うそー! まったく同着の集合という信じられない光景。何だか、このツーリング最初から波乱がありそうな気配。

 

 一生懸命山越えをしてきたが、距離的、時間的に追いつかれてしまったようだ。まあ、それにしても待合せの無駄な時間がないのでよかった。初対面のT氏と挨拶を交わし、早速道の駅へ移動することになった。すでに0時を回っており、明日のために早く仮眠を取りたいところだ。

 野反湖方面へ分岐して車を走らせる。周囲の感じからこんなところに道の駅があるのかいな、と疑問になる。道の駅の印象としては、大きな駐車場、にぎやかな売店などを想像してしまうが、着いた道の駅六合は、こじんまりとした小さな所だった。中には入れないが、トイレだけは使える。車から降りると温泉の匂いがする。暗くて周囲がよく分からないが、温泉が近くにあるのかもしれない。

 明日の予定をしてみれば、こんな所では位置的に問題があるのであるが、くつろぎたいという気持ちが優先してここで寝ることになった。やはり時間が1時間以上遅く、寝るための準備も必要であるし、一杯飲んで腹ごしらえの時間も必要だ。

時々道の駅に車がやってきては、飲んでつまんでいる姿に驚いているが、ようやく気分はツーリング気分に満たされてきた。車の中は半袖で来たのだが外に出ればかなり寒く、防寒具を着込む。明日のためにH氏組は自転車を車内から出し、寝る準備を整える。色々準備して、片付けて、6時起床ということで眠りについた。

 


 事前準備の段階で色々と過去のツーリング記録を参考にしてきた。出発時間や区間時間、距離、標高差など頭の中には一応入っていたが、実際に何時に走り始めればいいのかという具体的なプランニングまでは考えていなかった。8時には野反湖を出発したいという気持ちを持っていたが、全体の時間配分を真剣に考えてはいなかった。

 朝から道の駅には、若者達の100キロ強歩の集まりでにぎわっている。天気は青空が広がり始め、気分もますます盛り上がる。6:30に尻焼温泉へ向けて走り出す。尻焼温泉にワゴンRを回収用に置いておく作戦だ。今度はH氏の車に自分のMTBを積む。荷物を移し替え、最終確認をしていよいよ野反湖へ向かう。こうした一つ一つの作業が結構時間がかかる。もうすこし綿密な計画を立てておけば10分15分の無駄な時間を使わずに済んだと、荷物を整理しながら感じた。

 尻焼の駐車場には簡易キャンプをしている車、自転車組など数組がいた。我々も準備を済ましいよいよ野反湖へ向かった。野反湖までの道はずっと登り

で、距離的にも標高差もかなりある。車で走って約30分はかかる。これを自転車で登ったら2時間近くかかりそうだ。やはり、回収作戦しないときついだろう。道の駅では晴れるかと思われた天候が、野反湖へ出ると濃霧に変わり、風もあり厳しい天候になってしまった。

 駐車場もこの天気では車も少なく、広いスペースに車がほんのわずかしか置かれていない。いきなり出鼻をくじかれ、気合が入るどころかどうしようという迷いに変わってきた。外へ出てみると天気の荒れ方はさらにひどく、手袋なしではいられないほどの寒さ。小雨がパラパラ降っていて、風が強く視界もほとんどない。恐れていた最悪の天候になってしまった。

 屋根から自転車を降ろす気になれない。こんな中をいきなり山道に入っていくのかと思うと、やる気が沸いてこない。しかたない、考えていてもこのツーリングは行かざるを得ない。変更のできないプランだ。それはわかっているものの、普通のコースとはわけの違う内容にますます不安がつのる。

 休憩所に逃げ込む。雨風をしのげ、寒さから解放される。腹ごしらえを簡単に済ませる。他のハイカーもこの天気に少々残念そうだ。天気予報では崩れるとは聞いていない。このまま、本格的な雨にならず、晴れないまでもこのまま持ってくれれば何とかなる。後は天気の回復を願うだけだ。雨具、アンダータイツ、手袋、いきなりスタート地点からフル装備になってしまった。

 スタートまでの準備にまたまた時間を取られる。三者三様の自転車と装備。装備の中身も、セッティングも皆色々。準備となって体を動かし始めれば、ようやく調子も出てくる。3日間のツーリング、スタートから厳しい天候だが、こうしてようやくスタートの準備が整った。

 駐車場脇がすぐにスタート地点になっている。白砂山登山口とかかれた大きな案内に従って山道を登る。周囲は白くもやが立ち込め、視界が悪い。このままこの白い世界に迷い込んでしまうのではないかと思われるほどだ。もしソロであったら、相当不安になるに違いない。

 いきなりの押し上げで息も荒い。道は湿ってはいるものの、ぬかるむほどではなく問題はない。こんな道を想定して新品の靴を用意してきたわけだが、始めての靴というのは何かと心配だ。靴づれや、マメ、そしてペダリング、登りなどに影響がないだろうか、できれば一度試してから今回使用したかった。

足首がこんなに固定されてしまっていいのだろうか。左足の甲に違和感を覚えるが、使っていくうちになじむのだろうか。今までローカットの靴しか使ってこなかったら、このザンバランの取り扱い方はまったくの未知数だった。T氏はすぐにこの靴に眼が行き、昔使っていた事を話してくれた。山サイメンバーの記事を見ての購入だから自転車には問題ないと分かってはいたが、果たして自分に合うかどうか、今回試すには絶好の機会であった。

いよいよ始まった今回のツーリング。スタートから真剣になる。荷物も重く、体も暖まらなく、足が重い。道はすぐに最初の沢に向かっての下りになる。しだいに落ち着いてきて、普段のツーリングの心境になってきた。気がつくと、周囲はかなり好い色、秋色を写し出している。

 さっそく軽いトラブルが起こる。H氏も自分も同じサドルバッグサポーターをつけているが、振動でサドルバッグがとんでもない方向を向いている。また、バッグの重みでしだいに下がってきて、タイヤに触れそうだ。T氏は落ち葉がガードに詰まって、タイヤが回らなくなる。初日は、こうした小さなトラブルが起こるが、まあ、たいした事もなく楽しく山道を進む。

 落ち葉の色、色づいた木々、味のある山道。落ち着いて観察すると、美しい紅葉の色彩があふれている。ここは、心豊かに秋の気配を感じ取れる気持ちが必要だ。フル装備での歩きは次第に暑くなってくる。天候は相変わらずだが、雨が強くなる気配はない。道は最初の沢に下りていく。難所までとはいかないが、それでも結構段差を乗り越え、担ぎが出るぐらいの山道だ。

沢には簡単な一本橋が渡してある。いかにも不安定な丸太の橋で、

空身で渡るにも結構辛そうだ。早速テクニカルポイントが現れ気分は高まるのであるが、こんな所で怪我をしては先が思いやられると、自然と力が入る。まずはT氏が自転車を担いでバランスを取りながらクリア。

見ていてもかなり難しそうだ。続いて自分がMTBを小脇に抱え挑む。濡れた丸太が滑りやすく、足を交差することができずすり足で進むことに。重心を落とし、しゃがみこむように前進する。きれいに担げない分、こうした難所では苦労する。やっとの思いで橋を渡る。H氏もかなり苦労してようやく無事に渡りきる。

 まずは最初のポイントを無事にクリアする。天候はしだいに落ち着き始め、周囲の白く立ち込めていたもやも消えかかっていた。フル装備の状態ではかなり暑く、少しづつ身軽に変身していく。沢を越えればまた押し上げが待っている。次のポイントは地蔵峠だ。レポートによると、難なく地蔵峠に到着しているが、我々はここで道を間違え、余計な体力を使う羽目になる。

地蔵峠への分岐は、白砂山・秋山と表示されており、秋山の文字に注目すれば間違いなく右に分岐するのが当然なのだが、白砂山の文字だけに注目したせいか、そのまま真っ直ぐ進んでしまった。思い出せば確かレポートのどこかに、同じく間違えた記述があったのだが、思い出すことなく同じ間違いを繰り返した。

 間違えた道はすぐに下りにかかった。せっかく押し上げたのにまた下りかと思いながら進む。ところが一気に沢へまた下るような急勾配。
すぐにおかしいと気づくが、いつものごとく、もう少し、もう少しと先へ進んでしまう。

立ち止まって皆で協議。これはおかしい、という結論に達し、先ほどの分岐へ戻ることに。距離的には短いが、標高差にしてみれば一仕事。ここでも時間を無駄にしてしまう。

 地蔵峠はすぐに現れると期待して頑張ったのだが、結構分岐からは標高差があり、まだか、まだかと思うぐらい体力を使わされる。いい汗を充分にかかされ、ようやく立派な道標のある地蔵峠へ到着。ようやくルートの確認ができて安心する。ここからはもう道を間違える事はない。所要時間を比べると、やはり道を間違えた分遅れている。

 

この先の事を考えると、そうゆっくり休んでいるわけにはいかない。地蔵峠からは、次の沢に向かって再び下りが始まる。下りも押していけるぐらいの勾配であれば楽なのであるが、かなり荒れていて引きずり降ろしが必要なぐらいの段差も多く、腕、腰、手首にかなりの負担がかかってくる。

ペダルをふくらはぎにぶつけて負傷したり、しだいに靴に水がしみてきたりと、だんだんと状況が変化してくる。新品の靴は、防水性が高く、まったく心配は要らなかったが、ローカット靴の二人は靴を気にし始めた。

 

 

 

 二つ目の沢に降りてきた。今度は渡る小橋もない。大きな岩が点在しているだけだ。どこを渡ろうかと考えてしまう。水深はそこそこある。水に浸かって渡るわけにはいかない。空身であれば、石伝いにピョンピョンと行けそうであるが、重量のある自転車を担いでいてはそうもいかない。ここでもT氏が先頭を切って渡る。バランスよく見事にクリアする。そのルートを真似するように自分もMTBを小脇に抱え、慎重にグリップを確かめながらクリアする。そしてH氏。二人が難なく渡ったのを見て気が緩んだのか、同じようなルートを踏むが、最後の一歩を踏み出す場所が悪かった。

 こちらはカメラを構え、沢渡りの一枚を撮ろうと構えていた。味のあるショットが撮れると思い、シャッターに指を乗せ、いつでも押せる態勢だった。その時であった。あっと思った瞬間、大きな声とともに、岩に乗せた足がすべり、そのまま尻もちをついた。シャッターを押すタイミングと尻もちをついたタイミングが見事に合い、水しぶきをあげる決定的瞬間を見事に収めることができた。H氏はそのまま体を伸ばし、水面に落ちないように頑張って体を保っている。すぐに近寄り、「待てる」、と判断し、さらに何枚か撮

り続ける。これは滅多にない貴重な瞬間。救助よりも撮影、というのが約束だ。 

幸い怪我もなく、足を水につけた程度で済んだ。初日から怪我をしてしまってはこのツーリングも終わりになる。派手な演技を見せてくれたが、何事もなくてよかった。内心ホットする。時間に追われているが、こうしたアクシデントや、写真撮影が頻繁に続き、一向にペースが上がらない。まだまだ、スタートして僅かな距離しか進んでいない。日はまだ充分に高いが、この先本当に宿に着けるのであろうかと少しづつ不安になってくる。

この北沢からが今回の本格的な登りだ。標高差約200メートル。まとまった登りがしばらく続く。気がつくと周囲はすっかり紅葉の世界が広がっている。空も明るくなり、青空が見え始めてきた。白くもやの立ち込めた中の紅葉も味があったが、やはり明るい日を浴びた赤や黄色の色彩は格別だ。足元には赤茶色の絨毯のように柔らかい落ち葉が積もっている。踏みしめるごとに、シャシャという音色が聞こえてくる。道幅も広く安定して、景色も一気に明るく開け始めた。

 本格的な登りを向かえ、半袖の態勢で押し始める。空気は冷たいが、それ以上に体は熱気を帯びている。急激に天気は回復し始め、しだいに野反湖の水面が視界に入ってくるようになった。道は広く安定しており、標高差はあるものの、なかなかいいペースで登っていく。いつものツーリングであれば、何度か休憩が入っているのだが、皆時間がないことを気にしており、自分から休憩を取るものはいなかった。なかなか辛い登りではあったが、呼吸を整えるだけの休憩を重ねつつ、しだいにピークに近くなってきた。

 

 いよいよ野反湖の全貌が視界に入ってくるようになった。雲も消え、目の前の視界が一気に広がり始めた。太陽を浴びて銀色に光る湖面が眼下に見える。美しい光景とともに、まだこれしか進んでいないのかという気持ちにもなる。勾配も緩くなり、視界が広がるとピークを向かえる。

 それまでの苦労が報われるような明るく美しい景色だ。やはり予想通り1時を回ってしまった。ひょっとしたら、頑張ったから少しは時間を稼げたかな、なんて期待していたのだが、やはりそう甘くはなかった。とりあえず最大の山場をクリアできてほっとしたのだが、やはり時間に追われることは変わりなかった。すでにかなり空腹状態。飴でごまかしながら、またちょっとした休憩時におにぎりを食べるなどしてなんとかつないできた。せっかく持って来たビールを開ける時がない。飲みたい気持ちを抑え、空腹をごまかしながら先へ進むしかなかった。

 いよいよ渋沢ダムへ向けての豪快な下りが始まる。予定ではこれからまだ3時間以上はかかる。順調に下って約5時。日没にぎりぎりのラインだ。途中何かあったら、考えたくないライトの登場になる。ただし、今回は普通の林道とはちょいと訳の違う山道だ。暗い中の山道下りはなんとしても避けたい。事前に宿に連絡をしておこうと思い、携帯が通じるかなと取り出すと、こんな山奥でアンテナがしっかり2本。周囲が開けているからとはいえ、こんな秘境のど真中で電話が通じるというのは驚きだ。携帯のありがたさにはただただ脱帽する。

 渋沢ダムまで1800から1100まで700の下りだ。乗って下れる所も多い、なんて書いてはあったが、レベルの違いか、自転車の違いか、度胸の違いか、まず同じような感覚で下れたことはない。大体書いてあることの半分ぐらいか、それ以下だ。この下りもまさしく書いてあることの半分以下で、ほとんど乗れなかったといったほうが正解かもしれない。

 登りで大汗掻いた分、下りも手応えのある下りで、まともに押して下れれば楽であるが、段差、乗り越え、担ぎ等、体中の関節を痛めてくれる下りだ。湿った道は、時には滑りやすく、またブレーキシューが濡れたリムとやたら大きな音を出す。

下るには、常にリアブレーキをかけながら下るが、軽くブレーキをかけながらの下りでは音がうるさく、しかたなくリアをロックさせながら、落ち葉を引きずりながら下っていく。おかげで常に右手の握力、手首は使いっぱなし、左手は余裕という状態だ。また、乗り越える時も、やはり右手ばかりを酷使する事になってしまう。延々続くこの下りに、しだいに右手も音をあげてきた。

 T氏は例によって落ち葉がガードに詰まっては、小枝で掻き出す始末。また、サドルバッグサポーターの不調にH氏と自分は悩まされ続ける。時々止まっては、サポーターの位置を直したり、力でずりあげたり、最後の手段は力いっぱい上へ曲げてしまうという荒療治に出た。バッグが重過ぎるというのもあるが、やはりシートピラーの部分で支えきれないといったほうがいいのだろう。何か次回は対策を考えないといけないようだ。足をぶつけたり、つまずいたり、張り切って大きな倒木を一人で乗り越えようと頑張って指を深く切ったりと、あちこち怪我をしながら黙々と下っていく。時々先頭交代しながら、誰かがペースを作っていく。一息つきたい所でも、暗黙の了解ですぐにスタート。いったいいつになったらビールが飲めるんだろうと考えてしまう。まあ、しかたがない。渋沢ダムまで出れば後は何とかなりそうだ。とにかくダムへ3時までに着かないことには安心できない。

 こういう時の高度計の表示はいやなものだ。頑張って下ってもいくらも数字が下がらない。特に700もあるとなると、そう簡単には下りきれない。乗って下れる700と歩いて下る700の差はあまりにも違いすぎる。多少乗れる所はあるものの、それはMTBの話であって、それもかなり太いタイヤでない限りかなり危険な所が多い。長いと認識してはいたが、やはり実際相当長い時間下り続けた。

 高度計が後200ぐらいになってくると人工的な音が聞こえてくる。どうやらこの先で何か工事をしているような感じだ。こんな所で工事? いったいどうやってこんな所まで? ほんとかいな? 疑問に思うものの、渋沢ダムは唯一誰かがいてもおかしくない所だ。きっとダムで何かが行われているのだろう、まあ早く降りてダムサイトの芝生で念願のビールを飲みたいと考えていた。下り始めてすでに1時間以上が過ぎている。高度計のおかげでダムは近いと感じられ、こうなってくると元気付けられる。そしてついに目の前に吊り橋が現れる。1時間20分かかってようやくここまで降りてきた

 

 吊り橋もしっかりして見えるが、渡ると結構揺れて恐ろしい。高さもそこそこあり、掴まる所もないから、怖がりの人では渡るのも大変そうだ。山の中から川へ出てきて、久しぶりに明るくなった。長かった下りも終わり、やっと渋沢ダムへ到着した。情報によれば、ダム脇は芝生の広場になっていて、ランチタイムに絶好の場所らしい。また、ここでテント泊も可能となっている。さぞかし、広々とした所なのだろうと思っていた。ところが、先ほどからの機械的な音から想像できるように、そこは大々的にダム工事の真っ最中であった。芝生と思われるあたりには工事現場のプレハブが建っており、そこでは住込みの作業者が食器を洗う姿が見える。さすがにこの場所では、下から通うことは不可能で、こうして何日も泊まり込みで工事をしているのだろう。

 こんな場所で、こんな大きな工事が行われていることがとにかく驚きだ。時間的には予定通り3時に近かった。ここで冷たいビールでもと考えていたのだが、この工事の様子に驚き、先を急ぐことにする。

ダムにかかる吊り橋を渡るといよいよそこからが念願の水平歩道の始まりだ。

 ダム工事の現場は、かなり落差のある上からと下からの作業が行われている。上からはリモコン操作によって工事の資材をコントロールしている。下にいる人は、何をしているのか分からないほど小さく見え、周囲のスケールの大きさの中に、人間の存在が本当に小さく感じられる。現場の人と顔を合わしても何の驚きも、挨拶もない。彼らにとっては我々の存在はたいしたものではないのか、あるいは真剣勝負の時間に現れ、応対している余裕などないようにも感じられる。大自然の中で闘っている彼らにとって、気の緩みはあってはならないものなのだろう。一息ついて、渋沢ダムを後にする。とにかく時間に追われている。ダムまではなんとか計算通りに来たが、まだまだ安心はできない。あと2時間、何事もなく行けば5時には到着できそうだ。
 

 ここまで来るのにかなりの時間と体力を消耗した。ここからがメインであるというのに、かなり時間的にも精神的にも余裕がなくなっている。しかし、いよいよここからがハイライトである。しばらくはフラットな道を快適に走れる。期待に胸を膨らませ、水平歩道のスタートを切った。

 快適である。自転車に乗れるというのはこんなに快適なのかと感じる。歩き疲れた体にとって、座って前に進める、ブレーキをかけなくていい、ということが新鮮に感じられる。それほど長い時間、歩き、担ぎ、押してきた。低めのギヤにセットし、落ち葉の積もる水平歩道を行く。道幅は思っていた以上に広く、勾配も文字通り水平に近い。すぐに最初のトンネルが現れる。本当に小さなトンネルで、乗って走り抜けることはできそうもない。中は暗く、出口は見えてはいるものの、ライトなしでは足元は真っ暗だ。先頭の二人はライトをつけて先へ行く。H氏は途中まで体をかがめて乗っていったが、途中で行き詰まったようだ。自分は、ライトを出すのも面倒なので、ライトなしで歩き始める。

 トンネルに入ると結構狭く、頭はかがめないとぶつかってしまう。幅も狭く、右側に手すりが付いている分自転車を押しての態勢はなかなか圧迫感がある。すぐに足元が見えなくなり、ゆっくりと進むのだが、段差があって、時々踏み外し苦労する。トンネル後半になると、手すりが中央にはみ出し始め、ただでさえ狭い幅がさらに狭くなった。暗闇の中で左右の幅の感覚が麻痺し、気をつけないとトンネルの壁に手をこすりそうだ。ライトをつければよかった、と反省しても後の祭で、戻ることも立ち止まることもできず、結局怖い思いをしながらトンネルを抜ける。

 水平歩道の右側は魚野川への谷になっているが、木々の隙間から時折水面が見える。その高低差に見とれていると、自然とハンドルがそちらに向いてしまう。気をつけないと、不注意で踏み外しそうになりそうだ。あまりいい調子で飛ばして、小枝や岩にハンドルをとられると、そのまま転落ということも充分考えられる。あまり右側の視界にとらわれないようにと注意しながら落ち葉の中を進む。

 快適な道だ。変化があり、緊張感があり、雰囲気がある。邪魔するものは何もなく、自転車のために作られたような道だ。苦労してここまで来た者しか味わえない極上の山道だ。沢を渡る所には鉄製の小橋がかけられている。やや滑りそうで怖いが、ゆっくりと行けばば乗って渡れる。沢にはイワナが泳いでいたとT氏が言っていた。

 道はやがて山肌の岩が荒々しいあたりにかかる。さすがにこのあたりでは安全のために谷側にガードがつけられている。ガードといっても、単にロープが一本張ってあるだけで、とてもじゃないが身を守ってくれるとは思えないシロモノだ。道幅もかなり狭くなり、慎重な走行が必要だ。それでも路面が安定しているおかげで意外と楽に走り抜けられる。そして2つ目のトンネル。これが閉鎖されたトンネルだ。トンネルには大きな枠がはめられており、中に入ることは不可能だ。すぐ横には大きな「迂回路」の看板が立っていて、上に向かって道ができている。これを越えるのが結構大変であった、という情報であったが、実際とんでもない押上げをすることになった。

 朝から散々担ぎ、押し上げを繰り返し、もう今日はないだろうと思っていたが、このトンネル越えは最後のとどめにふさわしい難所であった。体力が落ちている上に、未だ食料を豊富に持っているため、相変わらず自転車がかなり重く、それにも増して迂回路特有の常識離れした道作りに再び大汗を掻くことになった。とんでもない勾配で、押し上げるにも、担ぐにも本日最高に辛い時間だった。最後の一歩は「ふざけんな」というぐらい気合の入った一歩で、登りきってトンネル上で皆疲れ果てた。

 反対側へ降りると、簡易のベンチが置かれている。もうこれで登ることはないだろうということで、ようやくここでビールが飲めることになった。といっても時間制限で、10分間の休憩にしようとなった。10分は非常に貴重な時間であったが、これまでずっと我慢してきたわけであるし、ここまでくれば一安心ということで、ようやくビールの蓋を開ける。適当に食料をつまみ、喉を潤す。うまいビールだった。ただし、腰をおろしてくつろぐわけでもなく、あわただしい休憩でもあった。時刻はちょうど4時になっていた。

 再び、岩肌迫るロープ付きの道を進む。このあたりも、ハンドルを取られると非常に危険な所だ。これで暗くなったらとてもじゃないが乗ることはできないだろう。なんとかこの時間に水平歩道を抜けられそうで本当によかった。次に素彫りのトンネルが現れる。次から次と変化に富んだコースである。まったく飽きさせない、魅力たっぷりの道である。素彫りのトンネルは短く、ライトなしでも走り抜けられる。色々なシーンを写真に収めるべく、走っては止まり、先に行っては構えてと、撮影に本当に忙しい。こんないい材料は滅多にお目にかかれないから、今日一日だけでもかなりの枚数を撮っている。

 水平歩道の魅力にたっぷり浸かった頃、突然水平歩道は終わりを迎える。いきなり、急激な下りが開始される。いよいよ切明に向けての急降下だ。しばしの休息から、再び山道下りの再開だ。もうここまでくればあと一息だ。時刻は次第に5時に近くなり、段々と暗くなってくる。やはり、秋の日は短い。暗くなり始め、写真をとる余裕もなくなってきた。ひたすら、足元を確かめながらの下りとなる。前半戦でかなりの下りを経験してきているから、この下りもあまり苦にはならない。ただ、日没に追われるように先を急いだ。一息ついたところで、T氏が「橋が見えますね」と気がついた。足元ばかり気にしていたから気づかなかったが、確かに顔を上げると、遠く前方に人工物の橋が見える。きっとあれは切明温泉にかかる橋に違いないと確信する。標高もかなり落ちてきて、いよいよ本日のゴールが近いことを示している。

 ついに、魚野川を渡る吊り橋までやってきた。何度もお目にかかったような色の吊り橋であったが、最後のこの吊り橋は安心感とともに達成感を味わえる吊り橋であった。体はかなり疲労してはいるものの、足腰はしっかりしており、早く宿に着きたいという気持ちが一層強くなってきた。橋を渡ると、いきなり林道に出た。右手には車が何台か駐車しており、ここから切明温泉までは道が開けていることを想像させる。一気に道は広く安定し、ここからは最後のフィナーレーにふさわしい、ウィニングランとも言えそうな締めくくりの走りになった。これまでの苦労を振り返り、これから訪れる温泉への期待が交互に頭の中にこみ上げる。あせる気持ちと、長かった一日への気持ちがより一層気持ちを高ぶらせる。

 道はついに車道と合流する。そこは、これまでの閉ざされた静寂の世界から、騒音と現実の世界への合流地点でもあった。目の前に現れたのは車がカーブを曲がる姿だった。そして1台、2台と。アクセルひとつで坂道を排気ガスとともに駆け上がる文明の利器。体中、ぼろぼろになって、肉体的、精神的疲労と闘ってきた自分たち。同じ土俵に現れると、あまりのあっけない合流に我々自身も戸惑うことが多い。それだけ、この水平歩道のルートは現実から遠く隔たった場所と言えるのかもしれない。

 切明温泉はそこからすぐだった。温泉宿は3軒。温泉入口は、ハーレーの集団や、観光客で多くの人がにぎわっている。温泉堀り目的の人や、日帰り入浴の人もいるのだろう。山を越え、沢を越え、ドロドロになってたどり着いた我々とはまったく違う人種が多く戯れていた。

 切明温泉「切明園」は、そのにぎやかな入り口から少々脇道を入ったところにある。昔の記憶を思い出すが、このあたりの思い出はあまりない。少し奥にはいるとようやく宿が見えてくる。

「ああ、ここだ!、この入り口だ!」

そのなつかしい、そして変わらぬ宿の姿を見て嬉しさがこみ上げてきた。また、こうして来る事ができた。それもこんなに充実した一日で。嬉しかった。そして満足していた。時刻は5時12分、もう日没ぎりぎりの時間だった。


 自転車を置く場所も昔と同じだった。同じように蒔が置いてあった。中に入って声をかける。出てきた主人は暖かく我々を迎えてくれた。前にお世話になったことは話していたが、自転車で来ることは確か一言も言っていなかった。だからであろうか、主人も我々の様子を見て驚きの様子が伺える。

 いい内容の走りをした時の宿への到着の瞬間は格別だ。疲れた体の動きは緩慢だが、どんなに疲れていても心は穏やかであり、満足感で一杯だ。部屋へ上がる階段が何かと足にくるが、その一歩一歩の重さが満足感につながる。部屋へ案内されるこの瞬間がまた至福の時でもある。

 「烏帽子岳」へ案内される。確か前回は1階のもう少し奥の部屋だった記憶がある。部屋に入り、荷物を置くと、一気にすべての疲れが襲ってくる。横になりたいというのが、まず最初の欲求だ。横になって体を伸ばすと全身から、疲労感と満足感の入り混じった大きなため息が出る。これこそ、今日一日を物語る一言であろう。他に何の言葉も要らない。この一言で、お互いに分かり合える。

 着いた、という満足感。そして、これから始まる明日へのドラマ。この旅は、どの瞬間も充実していて、終わりがない。休むまもなく、二人は地図を広げ出した。明日はもう少し余裕が欲しいということで、早速明日の行程を確認する。さすがに今日みたいな時間に追われるツーリングではたまらない。もう少し時間が欲しいと思うのは当然であった。

 体が、かなり疲労していた。自分の右手首は、左手首と太さが変わっていた。使いすぎて手の甲が腫れ上がり、普段の1.5倍ぐらいの大きさになっていた。久しぶりに全身を酷使した一日だった。真弓峠にはかなわないが、それに近い疲労感を感じていた。

 

他に泊り客がいるのだろうか。その気配を感じない。重い体に鞭をうち、風呂へ向かう。風呂に浸かり、うまいビールを飲んで今日のフィナーレを向かえる。そうして布団に入るまでがまたまた、魅力たっぷりのひとときでもある。

 浴衣に着替え、廊下を歩き風呂へ向かう。確か同じように昔も歩いたはず。残念ながらあまりその記憶はない。1階は吹き抜けで天井が高く、大きな暖炉が印象的だ。開放感のある宿で、2階から眺めるとその広さがまたうれしくもある。

 湯船に身を沈めると、足先から何ともいえぬ熱さが伝わってくる。慣れない靴で痛めた足も、温かい湯の中でほぐれていくようだ。手首、肩、腰、膝、関節、体の節々に温泉の湯はあまりにも優しすぎる感じだ。天国だ。この瞬間をこの気持ちで味わえることはなかなかない。苦労して、頑張って、緊張して、そしてやっとこの気持ちを味わえる。味わおうと思って味わえるものではない。だからこそ、本当の満足感なのだろう。ツーリングの締めくくりは、やはり温泉に尽きる。ゆっくりとした時間が流れる中で、一日を振り返るにはあまりに贅沢で、そして人間の生身に戻れる瞬間でもある。

 夕食は7時からになっていた。最後になってしまった自分を他の宿泊客も待っていたようで、こちらもそうとは知らず緊張してしまう。テーブルは6つほどあっただろうか。全員集まると20名ほどになるだろうか。宿の主人が、食事に合わせて色々と語り始めた。こういう形式とは思ってもいなかったため、少々戸惑い、皆それぞれ飲み始めるが、主人は秋山の話を始め次々と暖かい談話を話してくれる。

 時には我々に矛先が向かい、野反湖から自転車で来た、などと紹介してくれるが、他のお客にとってはそれがどんなに凄い事なのかと、理解してくれた人はいなかったようだ。一面ユースのような形式ばった感じがしたが、逆にこうして同じ空間で同じ話を聞くという時間が、最近ではあまり経験できないという逆の新鮮さが感じられて印象に残った。

今日一日の話に花が咲く。時間に追われた一日であっただけに、この時間が本当に落ち着ける時間だ。使い切った体がとにかく水分を要求していた。ビールが次々に水のように体の中に流れていく。

 食べ過ぎた。そして飲みすぎた。山の幸豊富な鍋、まいたけのてんぷら、きのこ汁、いわな・・。どれもこれも絶品であった。きのこ汁は、あまりにうまくてもう一杯もらったほどだ。おかげで、ますますビールがすすむ。

 部屋へ戻ると、もう動くのさえままならなかった。疲労と満腹感と眠気とが入り混じって、横になっても苦しいばかり。体力と、時間があれば、川原で温泉を掘りに行きたいところだが、もうそんな気力はどこにも残っていなかった。しばらく消化が進むまでは眠れる状態ではなかった。

 布団に入ると暫くして皆深い眠りに入った。長い一日がようやく終わろうとしていた。


 6時には目が覚めた。綺麗な青空が部屋の窓から見える。いつもなら、このまま起きて準備に動き出すのだが、体が相当疲労しているらしく、起きる気力が沸いてこない。二日目は、昨日よりもコース的には楽であるが一日中ほぼ登りっぱなしという辛い一日だ。
 昨日の反省から、少しでも早く走り出したいと皆考えていた。起きねば、と心の中にはあるものの、なかなか誰も起き出さないため、ついついまた眠りに入ってしまう。何度かその葛藤を繰り返し、ようやく動き始めた時は8時になろうとしていた。

 

昨日使いすぎで腫れていた右手も元に戻っていたが、いかんせん全身の疲労で動きが鈍い。まずは朝風呂で体をほぐす。暖かい温泉の湯が眠っていた体と脳に活力を与えてくれる。
 昨日一日だけでかなり満足したツーリングを味わえたのに、今日もこれから新たなツーリングが始まると思うと、疲れた体も自然と動き始める。

 朝食はかなり遅くなってしまった。他の泊り客はすでに旅立っており、こんなにのんびりしているのは我々だけであった。

準備をし、宿を出発した時にはすでに10時になっていた。昔の記憶を頼りに川原へ降りてみる。前に来た時は、夜浴衣姿で下駄をはいて川原まで降りてきた。あちこちで川原をスコップで掘っている姿があり、その時は誰かが掘った穴に浸かり、源泉をお尻に感じながら露天風呂を楽しんだ。

 再び同じ道を降りて行くと、状況はかなり変わっており、人工的な手が入った後が伺える。昔の自然そのままの地形が崩され、観光化された感じが受け取れる。ここだけは変わってほしくないと願っていたのだが、もう9年も前のこと、無理なことかもしれない。

 

切明温泉を後にする。

 道は林道切明線と表示され、完全舗装の静かな道が続く。すでに日も高く、快晴の中すぐに汗ばんでくる。初日に合わせてMTBの太いタイヤで来たが、今日は完全舗装のヒルクライムの一日。昨日はほとんどまともに乗れる所もなかったから、これならもっと細身のタイヤでも良かったと感じる。
 林道切明線は静かながらもそこそこの勾配が続き、スタートしてすぐということもあってペースが上がらない。暑くてすぐに1枚脱ぎ始めた。シャツの袖をめくってもまだ暑く、最後は半袖Tシャツ一枚になれるほど気温は上昇していた。

 紅葉のシーズン真盛りの日曜日ということで、行交う車が結構多い。9年前はまだダートの林道でほとんど車も通らなかったのだが、これだけ道が良くなり、そして景色も良いとなれば自ずと交通量も多くなる。

 昨日の全くの無人地帯を抜けてきたのと比べ、今日はとにかく明るくにぎやかだ。すすきの穂が道路脇を白く飾り、紅葉の色彩と伴に登りの疲れを癒してくれる。

 合計標高差で1000mを越える今日のコースも、昨日に比べれば時間的には多少余裕があるが、体力的にはかなり辛いコースである。

 前日の疲労が残り、装備もまだかなり重く、思ったように前に進まないという感じだ。しだいにリュックが負担になり始め、ついにはサドルにくくりつけて走るという名案を思いつく。

 ようやく上半身が楽になり、半袖姿で本来の走りができるようになった。ベテランT氏は、自転車、装備も凄いのだが、とにかくフロントインナーが36Tという信じられないセッティング。
よくまあ、36Tでこの坂をスイスイ行けるものだと感心する。一度MTBの26Tの味を知ってしまうと、もう二度と30T以上のインナーなど使おうという気になれない。

 

紅葉の鑑賞ポイントはちょっとした渋滞だ。大きな三脚に豪華なカメラをセットして写真を撮る姿があちこちに見える。この明るい日差しの中で、赤や黄色に色づいた葉が輝いて見える。

一週間予定を遅らせて正解だった。先週であったら、ここまでは色づいていなかっただろう。

林道は雑魚川に沿って少しずつ少しずつ標高を上げていく。何度か沢を渡り南下し始める。道は綺麗な舗装が続き、ブロックタイヤで走るのが馬鹿らしくなる。

二人のタイヤの細さがうらやましくなってくる。すでに時刻は13時を回り、そろそろランチポイント探しとなってきた。

 しかし、まだまだ今日は先が厳しい。一度ピークまで登った後思いっきり下り、そして最後に温泉まで登り返すという、最後に難所が待ち構えている。安全策を取るには、できるだけ今のうちに距離を稼いでおいて、最後の登り返しに体力を残しておきたいと考えていた。

とりあえずビールが手に入らなければ始まらない。どこまで行けば手に入るかわからないが、この林道を抜けないことには無理であった。

 長かった雑魚川林道を抜けると志賀高原への道と合流し、周囲は大きく視界が開け道もより広くなる。空腹感を飴でつなぎながら快適なランチポイント探しに走り続ける。

直線的に続く登りを目の前に気力を振り絞る。踏み込むペダルに力がなくなっている。もうそろそろエネルギーを補給しないと皆ハンガーノック状態になりそう、と思われたとき、ようやく絶好の場所を見つけた。

「奥志賀高原ゴルフ場」という看板前に芝生が広がる。レストハウスは休業中に見えたが、ビール飲みたさに頑張って階段を登って行くと念願のビールが売っているではありませんか。

さっそく手に入れ、芝生に広がり各自好きなように始め出した。荷物を降ろし、靴を脱ぎ、芝生に腰を降ろす。延々登り続けてきただけに、思わずため息が出る。

さっそくビールを味わう。喉の乾きもあるが、ビールを探して走ってきたこともあって、喉元を通りすぎる瞬間は格別の味わいである。

 鮭大根を暖め、宿で作ってもらったおにぎりをほおばる。

さっきまでの空腹感漂う状況からは比べ物にならない幸せな一時だ。広い駐車場を挟んで、目の前には大きく視界が広がる。

風もなく暖かい日差しの中で、時間があれば1時間でも2時間でも宴会をしたくなるほどだ。しかし、時刻は13:40になっていた。あまり呑気に飲んでいるわけにはいかなかった。

 

 


 

 

再び登りが待っていた。しだいに周囲はスキー場へと変化してくる。勾配も最後のピークに向けきつくなってくる。標高も1600mを越え、15時を回ると日も陰り、気温が急激に下がってくる。登っている時は気がつかなかったが、立ち止まり一息つくと、吐く息が白く見え始めた。焼額山を過ぎ、一の瀬、高天ケ原へと登りは続く。休憩したいところではあるが、時間的に今日も余裕がなくなってきた。

 先を急ぐ。発哺温泉でようやくピークを向かえる。長かった一日のとりあえずのピークに達した。ここからは約300mの下りと、トンネル越えが待っている。下れる嬉しさの反面、再び登り返さなければいけないという気持ちから、いつものようなピークに到達したときの喜びはほとんどなかった。

 本格的な防寒対策が必要だった。下り始めるとかなりいい勾配で、寒くなければ結構本気でダウンヒルを楽しめる。しかし、トンネル越えはやはり苦痛で、車が少なければいいが後ろから迫る音と光に、ついつい回すペダルに力が入る。トンネル内では後方車にこちらの存在を知らせるために、小型のフラッシュライトを点滅させながら走った。大小3つのトンネルを無事に抜け蓮池へ出た。

 いよいよ最後の登りになった。時刻は15:35を回った。防寒具を脱ぎ再び登りの態勢を整える。

残り170mほどの登りだ。なんとか16時には熊ノ湯温泉に着けそうであった。ダウンヒルで体中が冷え、踏み込むペダルがやたら重い。最後の登りと分かっていながら、足はかなり出来上がっていて、前半のような力は沸いてこない。高度計の表示に元気付けられながら、じりじりと登り始めた。
 日曜日の午後でもあり、観光帰りの車が次々と下ってくる。車の流れと逆方向のためいくらか登りも助けられる。気温はかなり低く、登りでも手袋が必要になってくる。いくつか池を過ぎると右手に白い煙が吹き上がる「ほたる温泉」の案内が現れる。熊ノ湯温泉の一部分が「ほたる温泉」と名称を変更したということらしい。一息入れるにはちょうどいいタイミングで、地面からは源泉がブクブクと音を立てて沸いており、触れないほどの熱い湯が流れ出している。熊ノ湯温泉はそこからわずかだった。

 

16:30 本日も無事に宿に着くことができた。もうすこし余裕の一日を想定していたのだが、とにかく出発が遅すぎた。1時間早く走り出せれば、もう少しランチタイムを楽しむことができただろう。しかし、今日はよく登った。まとめてこれだけ標高を稼いだのは久しぶりだ。二日目も全員トラブルなく、そして遅れることなく計算通り走れて満足であった。

 

担ぎがなかった分初日よりは体が楽だ。しかし、本日も相当カロリーを消費しており、例によって夕食は相変わらずの良く食べ、良く飲むという3人だった。テーブルの上に所狭しと並べられたご馳走に、今日もビールがすすむ。

 二日目ともなると、部屋に戻ってから色々と忙しい。デジカメ、ビデオ、携帯の充電、荷物の整理、洗濯などなど。

 泊まった熊ノ湯ホテルはバスの停留所になっており、入り口前までバスが来てくれる。明日のルートを早速検討している時に、最終日の時間配分からバス輪行で時間かせぎ、という手もあると思いつく。明日の天候、そして体調によっては検討の余地ありということになった。

 


 三日目の朝を迎えた。天気は雲が多いものの崩れる心配はない。体調も皆順調だ。

 最終日のコースは3日間の中で最も考えさせられる。渋峠まで一気に登り、芳ケ平経由で尻焼温泉へ戻る。そして野反湖まで車を回収しに行かなければならない。そして最後は尻焼温泉で川原露天風呂を楽しもうという贅沢な予定だ。

 昨夜より時間配分を綿密に練っていた。まず問題なのは渋峠まで約500mの登りにどれぐらい時間と体力を使うかであった。

峠までの登りをバス輪行してしまえば、かなり時間的に余裕ができ、東京にも早めに戻ることができる。輪行すると言っても輪行袋を持っているわけではなく、本当に輪行するのであればそのまま車内に持ち込むしかなかった。 

結局、朝食を終え準備をしているうちにバスも2、3人を乗せて行ってしまった。確かにあれなら自転車を乗せても大丈夫であったかもしれない。

時間的に余裕はなくなったが、これで本日も真剣なツーリングができることになった。

 出発は8:50になった。月曜日ということもあり、朝の渋峠への登りは車も少なく快適だ。雲が多く日がささないため、空気は冷たく吐く息も白い。

1時間半見ておけば峠に着けると予想していた。
 三日目ともなると体もかなり登り慣れてきて、先頭交代をしながら朝からいいペースでカーブをクリアしていく。

一人では休みたくなる所でも、先頭に引っ張られついつい頑張ってしまう。

高度計もしだいに1700、1800、と上昇していく。

やがて前方に横手山が近づいてくる。しかしまだ遥か上には道路らしき白い道が見え、やはり500の登りというのは手応えがあると感じる。

 一息いれて峠を目指す。横手山を回り込むあたりが一段ときつくなる。

工事中のため片側通行で信号規制されているが、ノロノロの自転車では到底信号通りの指示に従っては走れず、下りの車両と対面するはめになってしまう。

 気がつくとすでに標高も2000mを越えている。さらに気温は低くなり、走るのをやめると一気に汗も引き、体が冷えてくる。

このあたりも紅葉鑑賞のスポットが点在し、絶好の場所では多くのカメラマンがガスの晴れ間を狙ってガードレール脇に列をなしている。しかし、生憎なかなかガスがひかず、寒い中その一瞬をカメラに収めようと待ち続けていた。

 ようやく勾配が緩くなる。標高は2100mに達し、峠が近いことをうかがわせる。やがて右手に建物が見えてくると、道路も直線的になり、2172mの渋峠に到着する。

 10:18 峠着。なかなかいいペースであった。

休憩も少なかったせいか結構足にきているが、それよりもすぐに体中が冷えてきた。

気温が何度あるのか定かではないが、この寒さはきっと一桁台の前半だろう。車から降りてきた薄着の観光客はあまりの寒さに震えまくっていた。

 

 

自分にとっては2度目の渋峠になる。

ここもすっかり変わってしまい、昔の面影は全くない。

15年前に来た時は、湯田中から延々登り続けた。いやになるほど長い長い登りだけが記憶に残っている。
その時の峠の標はもう残っていなかったが、道路脇にひっそりと隠れるように渋峠の白い標柱が建っていた。


 

 ここまでくれば後はほとんど下りだけになる。

当初は渋峠から芳ケ平へのルートを行こうと考えていた。地図を見ると芳ケ平ヒュッテに向かってかなりの落差で点線が続いている。

果たしてどんな道なのかと偵察に行くが、万が一トラブルが起きた時に時間的に余裕がなくなる危険性を避け、前に訪れたことのある白根からのルートを行く事にする。

 白根へ向け走り出す。
左手にはガスの合間から芳ケ平の景色が見え隠れし、芳ケ平ヒュッテの建物が小さく確認できる。

一気にスピードが上がり、冷気が全身を襲う。手袋した手も冷たく、涙が頬を伝って後ろに流れ散った。

 

直線な下りの途中に山田峠がある。注意しないとそのまま通りすぎてしまう。

かなり古びた標柱にかすかに山田峠の文字が確認できる。周囲は樹木が少なく、火山地帯特有の様相だ。

道はそこから一旦登り返す。登りになると今度は着ている物が邪魔になる。
体温の変化が激しいため、脱いだり着たりととにかく忙しい。

 道が平坦になり湿原が右手に広がるようになると、白根レストハウスに到着する。

湯釜見物へ行く人の姿が蟻の行列のように良く見える。時間があれば神秘的な色の湯釜を見たいところだが、往復するには30分以上必要なため、売店でビールを手に入れ芳ケ平への入口を目指す。

前に一度訪れているので、ここからはほとんど地図がなくても安心できる。

レストハウスから少々下った左手に入口があり、ようやくここで車の雑踏から解放される。

前回は雪の世界だったため、山肌や地面の色まで良く見えなかったが、あらためて周囲を見渡すとこの地球とは思えぬ風景に圧倒されてしまう。

赤茶けた岩、灰色に覆われた山肌、殺伐とした風景。今にもガスが噴出しそうな感じがしてくる。

 道は気持ちの良い下りとなって芳ケ平ヒュッテへと続く。MTBの真価をようやくここで発揮できる。

良く締まった小砂利の山道は最高に楽しいダウンヒルを味わせてくれる。

細身のタイヤでは真似のできない走りを披露し、ついついオーバースピードになってしまう。ハイカーも少なく十分に下りを楽しむことができる。

 もう少し下りたいと思う頃、芳ケ平ヒュッテに到着する。

絶好の季節なのか、何組かのハイカーがすでに昼食を広げている。

予定通りここで昼飯にする。今日こそはゆっくりランチタイムを楽しみたいと、持ってきた数々の食料、隠し酒を放出する。

 太陽が隠れてしまって残念だが、それでも風がないだけ助かる。

こうして落ち着いて昼飯を楽しめるのは今回のツーリングで初めてだ。

とにかく時間に追われていたため、ゆっくりと楽しむ余裕がなかった。

今日は1時間ほど時間が取れそうである。

 今日のメニューは、宿で作ってもらったおにぎりを中心に、未だ豊富に持っているつまみの数々。

 

鮭大根はじめ、茎わかめ等などなど。おにぎりが冷たいとT氏はガスで温め始め、紫に色づいた雑炊が出来上がった。

寒い時のビールもうまかったが、ここでようやく飲めた焼酎のお湯割もまた格別であった。

 


 

 芳ケ平の下りは、MTBにとっての技量を試すことのできる絶好のフィールドだ。

草津方面への下り始めは階段が多く、乗車率は低い。

しかし、ヘルメット、プロテクター装備し、荷物も少なければ意外と走りきれるところも多い。

その条件に一つもマッチしない我々は、当然のごとく乗ることはできない。せめてMTBで来た利点を見せようと頑張るが、やはりカミカゼライダーのような勇気はない。

 階段が落ち着いてくると、いよいよ山道走行の醍醐味を味わえる極上のコースが現れる。

乾燥した山道にブロックタイヤが気持ち良いほど吸い付き、恐怖感もなくハイスピードで下れる。

制動力抜群のカンティブレーキが自由自在にスピードをコントロールしてくれる。

先に行ってはテクニカルポイントでカメラを構え、すぐさま後姿を撮り続ける。ビデオを交代し、まるで草津の町へ飛び込むようなダウンヒルをズームで追う。

撮っても撮っても撮り足らないほど、撮影ポイントが多く、まともにダウンヒルを満喫することがなかなかできない。

 小さな転倒もあったが怪我をすることもなく、快適に下り続けると、花敷温泉への分岐が現れる。

ここで相棒が来るのを待っていると、「サドルが壊れた!」と言ってやって来た。

 

サドルが壊れたと言っているわりには、ちゃんと座って走ってきている。一体何が壊れたのかと良くみると、なんとイデアルの先端部分が折れて今にもちぎれそうになっている。

こんなトラブルは初めての光景で、思わず驚きの声が上がる。
 年代物で壊れたのか、衝撃で壊れたのかわからないが、高価な一品が使い物にならなくなった。

しかし、先端をストラップで固定することでなんとか走ることができるようになった。

 花敷温泉方面へ分岐し、沢を越え大平湿原へ向かう。

気持ちのいい林間の走行が引き続き楽しめる。

大平湿原に出ると周囲が開け明るくなる。落ち葉積もる山道を進むと、ひっそりした大池に出る。

雰囲気の有る小さな池で、静かに昼寝するには最高の場所かもしれない。

風もなく水面も穏やかで、思わず一息いれたくなる場所だ。

 大池を後にすると、再び楽しい下りがしばらく続く。

下りにかなり慣れてきて、緊張感も弛んでくると、ちょっとしたミスで思わすハンドルを取られることがある。ここの下りでも何度かそんな場面に出くわす。

 標高もかなり下がってきて、いよいよ楽しかった山道下りもフィナーレを向かえる。

 

林道に合流すると道も広くなり見通しもよくなる。誰もいない広々とした林道をまだまだ下れる。

これまで頑張って登ってきた分、これでもかというぐらいに下ってきた。最後は上質のダートを気持ち良く飛ばし、ようやく久しぶりの舗装路を目にした。

 メインを走り終えほっとする。しかし、ここから尻焼温泉まではひと頑張りしなければならない。

途中、登り返す部分もあるため、まだ気を抜くわけには行かない。

舗装路に出てから不覚にも現在位置を見失い、尻焼へのルート確認に悩むが、それでもようやく川沿いの道に出ることができた。

後は一本道。下っていけば車が置いてある尻焼温泉へ出られる。

 

 

最後もかなりの勾配の中、快適に下っていくと見覚えのある尻焼の温泉が目の前に飛び込んできた。

川には何組かの温泉客が湯に浸かっている。我々も早めに車を回収して、のんびりと湯に浸かりたいところだ。

 

 

 

 時刻は16:30になろうとしていた。次第に暗くなり始め、日没まであまり時間はなかった。ここでT氏を温泉に残し、デポしてあった車で野反湖へ向かう。車で走っても30分はかかる距離があり、往復1時間は必要だ。次第に暗くなる中、いくつものカーブを曲がり野反湖が近づくと、初日と同様に霧が立ち込め出した。
 最初は雰囲気があって楽しかったのだが、すぐに一寸先も見えないほどの濃霧へと変わり、視界はほとんど数mという事態になった。当然スピードも出せず、体を乗り出して前方を確認しながら走るというスリル万点のドライブとなってしまった。
 ようやくなつかしい野反湖の駐車場に着くと、ポツンと一台車が取り残されていた。休むまもなく再び濃霧の中を2台の車は野反湖を後にした。

 車を止め、すっかり暗くなった中をライトを持って川原へ降りた。真っ暗な中温泉を楽しむ人達の声が聞こえてくる。T氏はすでに長いこと温泉に浸かり、すっかりいい気分。
 相棒がビールとつまみを持って、頭にはヘッドライトを装着して川に入った。相棒はここの温泉を熟知しており、何を持っていくべきかを心得ている。以前からここの川原露天風呂に一度入りたいと思っていたのだが、ようやく今回念願がかなった。

 
 全くの自然そのままの川の底から温泉が沸いている。川幅はかなり広く、周辺は適度な温度でぬるくもなく熱くもない。一度入ったらなかなか出たくない温度がまたいい。場所によっては深いところもあるが、流れも穏やかなため安心だ。
 明かりがないと全くの暗闇で、一体何人の人がいるのか見当がつかない。楽しそうな声があちこちから聞こえ、皆準備が良く、一杯やっているようだ。我々も湯に浸かりながら、少々ぬるくなったビールと最後のつまみを楽しみながらのんびりとした時間を過ごす。

 最後にこんなに野性味溢れる温泉を満喫して、もう何も言うことはなかった。この三日間のツーリングは、そのコースといい、内容の濃さといい、そして温泉といい、すべてにおいて満足いくものであった。
 こんな素敵なツーリングを経験してしまうと、これを越えられるプランをなかなか計画できそうもない。そんな思いが浮かんでくるほど充実したツーリングであった。

 すっかり長湯してしまった。今から本当に東京へ帰るのかと思うと気が重く、いつまでもこの川の中で、足を投げ出し星空を眺めていたいと思うばかりであった。

 

 

1日目 

野反湖〜地蔵峠〜渋沢ダム〜水平歩道〜切明温泉



(注:距離は地図上の距離  *メーター電池切れのため実走距離測定できず)

2日目

切明温泉〜雑魚川林道〜熊ノ湯温泉

3日目

熊ノ湯温泉〜渋峠〜山田峠〜芳ケ平〜尻焼温泉


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