峠への招待 > ツーリングフォトガイド > ’2006 > 細尾峠・足尾銅山
やっぱり紅葉を見るには日光へ行かねば、と10月も半ばにランドナーを車に積み込む。 |
前日18時に出発し、21時に日光口PAで就寝。 |
できれば「旧道を探る」のコースを、うまく車を使って走ってみたかったが、今日は細尾峠だけと諦める。 |
日足トンネルが開通して、この細尾峠への道はほとんど利用する人がいなくなった。 |
分岐してしばらくは川を挟んで車道が並行しているので、車の騒音も聞こえてくる。 |
きつい登りだ。物凄いヘアピンカーブの連続だ。見上げれば白いガードレールが次々と見えてくる。 |
雰囲気は最高だ。これぞまさしく、秋の峠越えだ。 |
空が見えてきた。もう峠も近い。 |
峠はひっそりとしていた。 |
細尾峠の名前は、その先に小さく表示されていた。 こっちの方が峠の趣があっていい。 |
誰もいないと思っていたら、峠の周囲は駐車している車が列をなしていた。 |
静かな峠でランチタイムだ。
ようやく人の姿を見ることができた。話し声が聞こえてくると、峠の雰囲気もようやく賑やかになった。 |
下りも貸し切りだ。下って行く車も、登ってくる車もいない。 きれいな舗装路に深く落葉が積もっている。 タイヤで踏みしめると、”サクサク”、”シャリシャリ”という乾いた音が響き渡る。 |
下りも九十九折れの連続だ。あまりにカーブが続くので、スピードも出せない。 一気に下ってはもったいないほどの眺めだ。ゆっくり、ゆっくりと味わいながら下って行く。
静寂の世界から、騒音、轟音の世界に引き戻される。あまりの変化に戸惑うばかりだ。 |
このトンネルは走りたくなかった。地図を見ただけで勘弁してくれと言いたくなる長さだ。 トンネル内は明るい照明で車のドライバーにとっては快適だ。 しかし歩道は狭く、その横を見通しがいいおかげで猛スピードで車が疾走していく。
車道に落ちたらひき殺される。結局、2765mをひたすら押して歩くことになった。 あと少し歩道の幅を広げてくれたら・・・と思うが、逆に歩かせるために狭くしたのかも・・・とも思った。 |
長い長いトンネルだった。もう二度と通りたくないと思った。 車に戻って足尾銅山へ移動する。しかし、道路はこのありさまだ。紅葉狩りの車で大渋滞。 自転車ならスイスイ走れるのに、延々続くノロノロ運転。まあ今日は帰らないから余裕で運転する。
この時期は車内で寝袋に入って寝るのにちょうどいい気温だ。
換気に気を付けながら、車内で料理を楽しむ。こんな時間が贅沢なんだなぁ。 |
翌日は朝から雨。こんな天気ではツーリング気分も盛り上がらない。 車を走らせ、足尾銅山周辺を散策してみる。 |
日本近代化の歴史を物語る足尾銅山。 ピークには東洋一の銅生産量を誇っていたほど、その繁栄ぶりはすさまじかったという。
町全体が”岩”の色のように暗く、黒く、そして山には樹木がないハゲ山が多い。 亜硫酸ガスによって山林は消滅し、いまだに復旧途上にある。 |
舟石峠までゆっくりと登って行く。 旧社宅跡には立派な石垣が延々続き、かなりの人が暮らしていたことがうかがえる。 それでも野生の猿が道路に現れ、少しずつ自然が戻ってきていることがわかる。 |
峠から下って銀山平、小滝を経由して鋼親水公園へ向かう。 途中から見える精錬所跡の景色は、もう絶句に値する。言葉が出てこないほど衝撃的な色だ。 |
昨日たっぷり味わった、細尾峠の素晴らしい赤や黄色などどこにもない。 煙突を高く伸ばす公害対策を取ったら、さらに被害が遠くまで拡大した・・・なんて解説もある。
この写真は、とにかく「重い」一枚だ。 |
足尾銅山の歴史をさらに学ぶため、足尾銅山観光へ向かう。 年配の団体さんと一緒に、トロッコ電車に乗って全長700メートルの薄暗い坑道に入っていく。 よくできた電気仕掛けの人形や、銅採掘の様子などが楽しめる。大人でもなかなか楽しい見学ツアーだ。 |
すっかり足尾銅山観光の一日になってしまった。しかし、とても勉強になる一日であった。 ツーリングに行っても、なかなかゆっくり観光する時間もない。今日は実にいい機会だった。 すでにお昼。天気も冴えず、今更走る気も起らない。
どちらの峠も、舗装路の静かで小さな峠だが、車で越えてはまったく雰囲気がつかめない。 もし機会があれば、再度この周辺を訪れてみ たいと思いながら帰路についた。 |
(2006/10/22-23 走行)
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