峠への招待 > ツーリングフォトガイド > ’2011 > 長浜・国友・姉川
2011年9月8日(木)
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黒壁スクエア
北国街道沿いに続く古い街並の一角にある総称「黒壁スクエア」。明治時代から黒壁銀行の愛称で親しまれた古い銀行を https://www.kurokabe.co.jp/about_kurokabe/
古い街並みが続く、文化や伝統、そして新しいアートを楽しめる観光スポットだ。 |
どんな町なのか全く知識がなかったが、こんな光景と文学碑から、とても心休まる町の感じがする。 鉄砲の里 国友
近江は、戦国時代、一帯が戦場となっていた地域であった。国友集落の北部を姉川が流れており、東へ約4km上流地点に戦国時代、姉川の戦いの地がある。その近江湖北の平野部に、国友の集落があり、戦国時代の戦い方を激変させた日本の鉄砲最大の生産地であった。 |
静かな町中に入ると、すぐに大きな屋敷跡が現れる。 国友一貫斎の屋敷跡 国友家は、戦国時代に国友で鉄砲生産が始まったころから鍛冶師の要職をつとめた家です。一貫斎は九代目藤兵衛として1778年に生まれました。江戸で西洋の文物にふれて科学性を磨き、帰郷後、鍛冶総代をつとめる中で発明を続け、「東洋のエジソン」と称されるほどです。一貫斎は秘伝とされていた鉄砲の製法を誰でも作れるように書物化したことや、自作の天体望遠鏡による太陽黒点の一年以上にわたる連続観測は画期的な業績です。 https://www.pref.shiga.lg.jp/site/kokoro/area_kohoku/details/a0872_details.html |
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帰宅後、その昔ヒストリーチャンネルで放送していた「街道をゆく」から「第38回 近江散歩」を観た。 |
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司馬遼太郎『街道をゆく』 用語解説・詳細地図付き 近江散歩 「私はどうにも近江が好きである」と、『街道をゆく』シリーズで、すでに足を運んだ滋賀県を再訪した司馬さん。 彦根城や姉川の古戦場、安土城趾などをめぐる旅の合間に、安藤広重の浮世絵に描かれたままの、変わらないたたずまいのもぐさ店を見かけ、胸をなでおろします。 バブル経済を迎えようとする1980年代初頭の日本で繰り広げられていた乱開発。 その魔の手が、琵琶湖の水質汚染を招いていることを目にし、旅の終盤では日本の行く末を憂う言葉が散見されるようになります。 全文掲載。中高生から大人まで。 |
距離:
20.0 km 所要時間: 7 時間 0分 00 秒 平均速度: 毎時 2.8 km |
最小標高:
86m 最大標高: 125m |
累積標高(登り): 39m 累積標高(下り): 39m |
(2011/9/8 走行)
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