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ダムの底に沈む温泉街、川原湯温泉

八ッ場ダム建設の歴史に翻弄されてきた川原湯温泉街。来年には温泉街の営業も終了する。


ダムに沈む街並みを見届ける
には、今回が最後のチャンスだ。

群馬県の川原湯温泉宿泊助成事業として、事業説明会に参加すると、一人あたり3000円の宿泊料が助成される。


さっそくクラブで団体申請すると認定され、恒例
秋のクラブランは、 この最後の川原湯温泉へ泊ることになった。

今回は横川駅を起点とした左回りの周回コースだ。
 


ツーリング本隊の集合は横川駅だが、参加者はそれぞれの方法で宿に集まってくる。

行、カーサイ、宿から自走、別行動で宿直行・・・メンバーが多くなればいろいろな走り方があって賑やかだ。


まあ
、最後は宿で全員集合といういつものパターン。

東京を出て高崎を7:30発の列車に一人乗りかえる。


ガラガラの
列車の車窓からは、上州特有の荒々しい山並みが見え隠れする。

今日はいい天気になった。さてどんなクラブランになるのか楽しみだ。
 


横川駅に8:03到着。一番乗りだ。まだ誰もいない。

やがて、次第にメンバーが集まってきた。


後から来た輪行メンバーはすぐに組み立て始め、カーサイ組は車から自転車を下ろす。

そこへ宿から自走してきたのが、この黄色い 走り屋Kさん。

仕事の都合で
、一泊した翌朝に車で帰るため、宿から ここまで自走だ! すでに50km以上走ってる! 凄すぎ!


肝心の本隊隊長組が渋滞で到着が少々遅れてしまったが、 とりあえずこれで本隊メンバー全員集合となった。
 


走り始めてすぐに、メンバー1人合流。本隊組はこれで9名になった。あと宿で3名合流予定で、合計12名となる。

大所帯だ。これだけ大人数になるといろいろなことが起きる。トラブル発生確率も高くなる。


走り始めて1時間もしないうちに、千葉のSさんが登りで押している。どうしたんだろう?

登りの上で様子を伺っていたが、どうやら何かトラブルらしい。すぐに携帯で電話してみる。


「フリーがフリーになっちゃった・・・」らしい。どうやら爪が破損して漕げなくなってしまったらしい・・・

これは致命的だ。多少のトラブルなら何とかしてしまう面々だが、フリーの故障はさすがに厳しい。

Sさんはカーサイなので、仕方なく車に戻ってその後サポートカーに変身・・・(おかげで助かった人が・・・)
 


いきなりメンバーが1人抜けて残念だ。本人もどれだけ悔しいことか・・・

残ったメンバーは「フリー」の話題で持ち切りだ。

いろいろな経験談を語りながら、ゆっくり地蔵峠への道を登っていく。


勾配がきつくなると遅れだすメンバーも出てくるが、「後ろからボルボが来るから大丈夫だよ」と皆に言われる。

確かに、不運のトラブルで残念だが、サポートカーがいるという安心感は計り知れない。
 


やがて高崎市の標識が大きく目の前に現れた。ここが地蔵峠だ。

峠の案内はないが、道幅も広く、明るく開けた峠だ。

時刻はちょうどお昼。道路わきのちょっとした広場に陣取ってランチタイムとする。
 


輪になって、各自得意の昼ご飯の始まりだ。

火器のある人ない人、簡単に済ます人、調理する人。人数が多ければいろいろな食べ方がある。

しかし、ここは全員でゆっくりエネルギー補給と休憩だ。暖かい日差しの下で楽しいひと時を楽しむ。
 


やっぱりこの季節は温かい物がおいしい。

ラーメン、おでんがやはりいい。おでんの汁で棒ラーメンを作るのが、水を無駄にしないベテラン技だ。

食料の準備は万全だけど、割り箸を時々忘れる人がいるから、いつも自分は予備をもってます。
 


こんな自転車でよく本格的なツーリングに来るもんだ、と皆からの意見。(上州を馬鹿にしてますね、なんて声も)

それにしても「芸術」ですね。唸っちゃいますね。

ボトルを並べて記念撮影してみました。晩秋の素敵な一コマとしていかがでしょうか?
 


見上げれば素敵な秋空。お腹も満たされて幸せな時間だ。

そこに現れた一人のサイクリスト。ランドナーにニッカスタイルだ。


これは
逃がさんと、重鎮二人が若者に近づいて「愛のお説教」をし始めました。

「これからは君たちが伝統を守っていかなきゃだめだそ・・・」なんて言っていたんでしょうね、きっと。

いつかこのホームページ見たらきっと思い出すでしょうね・・・すごい人たちなんですよ、このメンバー。
 


まだまだ半分も走っていない。

ちょっと気合を入れてペースをあげないと、いつものナイトランになっちゃう・・・
 


快調に走っていたら 、ん? 何やら前方でK石さんが自転車をひっくり返してる・・・何してんの? 

スポーク切れだ。それもリア、フリー側だ。振れを取るために調整している。

32Hのホイールで特殊な組み方をしているのが原因か? とりあえず調整して走り出すことができた。
 


トラブルもあり、サポートカー含めてここで全体会議だ。

残りの距離を考えると、そろそろ日没ギリギリの時間になってきた。

しだいに時間に追われるようになってきた。
 


なんとか全員でゴールしようとペースを上げる。

軽いギアをくるくる回し、先頭を引っ張るI岡さん。それまでが嘘だったかのようなトレインを作ってます。
 


16時を過ぎて日が傾いてきた。道は吾妻峡に沿って緩やかに登っていく。

このペースでいけば暗くなる前には宿に着ける・・・と安心していたのだが・・・


再びK石さんのリアホイールにトラブルが発生。スポーク2本目が折れ、もう振れ取りの限界。

リムがブレーキに当たって走行不能に。ここで回収となってしまった。残念です。

次第に減っていく本隊メンバー。ゴールまであとわずかだが、いよいよ暗くなってきた。
 


八ッ場ダムの工事案内を見て、あらためて驚くばかりだ。

今自分たちがいる場所が、完全にダムの底に沈む絵だ。まったく想像ができない。


えっ、この道も、隣の鉄道も、渓谷も何もかも水没してしまうのか・・・

あまりにスケールがでかすぎる、巨大な作り話としか思えない。それほどダムの建設は破壊力が凄い。
 


川原湯温泉の観光案内図だ。もう二度と見れなくなる図だ。思い出に大きな写真で残しておきたい。
 


そして川原湯温泉駅。見上げれば巨大な橋が上空に架かっている。

この橋を見ると、本当に埋まってしまうのをさすがに実感する。


すっかり暗くなってしまったが、駅名と自動販売機だけが寂しく光っている。

誰もいないが、電光掲示板が賑やかに案内表示している。
 


壁にはいくつもの思い出の写真が飾られている。

水没すると思うと、何もかもが愛おしく思えてくる。


町は静まり返っている。もう、住民も移転して町の機能を果たしていないのかもしれない。

沈みゆく町。こんな姿を見るのも感じるのも初めてだ。重すぎる。
 


宿に着いた時にはすっかり暗くなってしまった。宿の女将が玄関で我々を待っていてくれた。

ちょうどここで、別行動のメンバーとも合流し、全員無事に宿に揃った。
 


温かい女将の出迎えと、歴史を感じる宿の造りに思わず笑顔がこぼれる。

温泉街を覆う、冷たく巨大なコンクリートの眺めから、ようやく 地元の温かさに触れられたという感じだった。

さっそく風呂上がりの乾杯だ。夕食前に次々ビール瓶が空になる。やっぱりよく走った日はビールがうまいね。
 


大広間で賑やかな宴会が始まった。話題は今日のトラブルで盛り上がる。

これだけベテランが揃うと、まあ話は永遠に尽きない。さらに部屋に戻って二次会へと続く。


静かになってしまった川原湯温泉も、今夜はここの宿だけは特別に賑やかだ。

思う存分飲んで食べて、いろいろな思いを抱きながら、川原湯温泉の夜は更けていった。
 



下の地図が完全に水没するあたりだ。数年後にはこの地図も見ることはできなくなるだろう。

走った記録と、駅や宿の思い出に当時の地図を残しておこう。
 

ツーリング後5年以上経過してようやくこの文章を書いている。

当時は八ッ場ダムの歴史も、川原湯温泉の歴史も何も知らなかった。

やはりダムの歴史を知らないことには語れないと思って図書館で本を借りてきた。

都会の人間がひょいと訪れて、なんだかんだと語れるほど簡単な話ではない。

ダム開発には被害者と受益者がいる。我々都会の人間は恩恵を受ける受益者になるが、多くの人はダムに関心がない。

しかし、「コンクリートから人へ」という民主党政権のキャッチフレーズにより、多くの国民がこの八ッ場ダムに関心を持つことになった。

建設中止? 建設中止に反対? 一番の被害者は誰なのか? そしてこの問題は何だったのか・・・

ツーリングから5年経過して、すっかり川原湯温泉も変わってきた。

新駅もでき、移転した温泉街も蘇りつつある。今後、川原湯温泉はどう変わっていくのだろう。

ツーリングに行って、こんなに一生懸命勉強し直したのも初めてだ。


 

距離: 55.0 km 
所要時間: 7 時間 53 分 37 秒
平均速度: 毎時 7.0 km
最小標高: 280m
最大標高: 706 m
累積標高(登り): 1057 m
累積標高(下り): 872 m

(2013/11/23 走行)


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